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古本とビールの日々


by oxford-N

オックスフォード便り 63 「ロンドンのオークション (1)」

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ロンドンのリージェントストリートから少し入ったところで、小さな戦いがくりひろげられた。「ブルームズ・オークション」が開催され、471点の古書がオークションにかけられた。

朝早くの下見からすでに戦いは始まっていた。さりげなく欲しいものをみていく。ここにきている以外に電話参加するつわものも多い。慎重にならざるをえない。

欲しいものは何点かあるが、究極の1点を自分のなかで絞らなくてはいけない。「本当に欲しものはどれか」、自問自答をくりかえす。

今日の絞りこんだ1点は、トマス・ローランドソンの『人間生活の惨めさ』である。細長い長方形の。皮装丁の「本」。経年の疲れで表紙は破れ、はがれてしまっている。でも刷りはきれい。
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50枚がそろった「完本」ではない。1枚欠けている。そもそも本のかたちでこのような風刺画は出版されない。まず版の大きさ、色彩の有無の希望により、購入者の予約を募り、1点ごとに配布していく。予約出版がほとんどで、あとで購入者が自分で製本する。

ローランドソンはヴィクトリア朝の挿絵文化が隆盛をきわめる礎となったような画家である。イギリスではめずらしい、丸くて柔らかいタッチを身上とする。

文化史の視点から見ても、当時の生活をあらゆる角度から描き出していて、興味は尽きない。教科書の挿絵などにもよくつかわれるほどの情報量にあふれている。1枚の絵の下に500の情報が埋もれている、といわれるゆえんであろう。
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予想価格は300ポンドから450ポンド。1805年の初刷りではないが、妥当な価格であろう。競り値は200ポンドからはじまった。瞬く間につりあがっていく。

300ポンドあたりから、このまま手の上げ下げをしていたら、いつかスキを抜かれ、出しぬかれてしまう、とあやぶみ、ずっと挙手したまま、という作戦に出た。

500ポンドまできて、ようやくセリの声が落ち着いたかとおもい、手を下におろした。オークショナーもずっと当方を見ていた。これで…安心だ、大丈夫だ。

「やった!」と思った瞬間、うしろで電話応対をしていた係員が「510ポンド」と間髪いれずに声を発した。「えっ!」と感じ、急に手をあげようとしたが、前席に腰をおろしていた老人が、「520ポンド」の声に素早く反応した。

無情にもハンマーの「ポーン」という音だけが場内に響いた。「何なんだ、これは、いったい…」という声にならない声が内からわいてきた。(N)
by oxford-N | 2008-08-09 16:23 | 古本