古本とビールの日々


by oxford-N

カテゴリ:ベルギー( 14 )

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この市庁舎の建物はみごとである。前の広場はベルギーでも最大規模。ここで集会、マーケット、数々の催し物が開催されるという。

何も催しがないときは、この通り、塵一つ落ちていないほどの清潔さが保たれている

広場の地下は駐車場になっていて、街全体がひとつの「作品」になるように演出されている。

この広場文化はぜひとも見習いたいものである。周辺におかれた彫像が美しい。
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by oxford-N | 2009-03-25 22:17 | ベルギー
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川面に美しい影を落としているこの建造物は中世の「砦」である。

とても血なまぐさい戦場に似あうような建物にはみえない。

現在では史跡として保存され、夏の花火大会などに格好の場所を提供している。

花火からこぼれる火を見て、かつての戦闘を想像するのは難しい。

でも、じっと見ていても飽きさせない風情がこの建物にはある。
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by oxford-N | 2009-03-25 20:25 | ベルギー
かつて「鳩ブーム」なるものがあった。東京オリンピックのころの話である。すでに半世紀前になるか。3種類もの鳩雑誌が出回っていた。
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鳩を飼育して、「鳩レース」に参加させるのだが、その本場がベルギーであった。

鳩レースは競馬のサラブレッドと同様、血統がものをいう世界である。日本では古く明治からこのベルギー系統を「導入」して、陸軍、新聞社は大いなる「実験の場」であった。

このベルギーの鳩が日本に輸入され、いかなる経路をたどったかは、黒岩比佐子さんの文春新書に収められている「鳩文化史」の名著をひもといていただきたい。

一読三嘆が待っていることは受け合います。

鳩レースは、放鳩地から自分の住処までの距離までを測っておいて、放された鳩が帰舎まで何分かかったか、という分速で競い合う。

狭い国土のベルギーには最適の競技であった。スペインのバルセロナからフランス、ベルギー、オランダを目指すのが最大のヨーロッパレースである。1000キロ以上の距離がある。

その優勝鳩の血統は珍重され、かつて2度優勝した鳩に対して、3000万円の買値がついてマスコミをにぎわしたことがある。この額で建売住宅が2軒買えた時代であった。

現在は中国で鳩レースが盛んであるという。逆に広い国土を利用して3000キロのレースを実施したりしている。

ビールを飲ませるところには必ずこのような「銘鳩」の絵や写真が飾られ、こうした店で鳩の持ち寄りがなされた名残をとどめている。
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by oxford-N | 2009-03-25 18:36 | ベルギー
13世紀に修道会の信者が住みはじめ、代々にわたり身内だけの近親結婚をくりかえし、最近まで外部と遮断した生活を営んできた一角がベルギーはコートリークの街にある。
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この一角の住居が特異なのは、代々にわたる近親結婚のため身体が小さくなりすぎ、それに合わせて家まで小さくしたために、まるで小人の家が出現したようだ。

もっとも、現在では自由に外来者も受け入れているために、小柄な人ばかりがいるというわけではない。

でもまとまった住宅の集合体はまるで中世のままで時間の浸食をうけていない。美しい街並みである。

そこでB&Bを営んでいる家にお邪魔した。家屋はやや幅が狭く、天井も低いが住み心地は万点である。
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ここにいた人たちはどんなことを日々祈っていたのであろうか。黙想していたらその声が聞こえてきそうな気がした。

日差しがやさしい日曜日の朝であった。
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by oxford-N | 2009-03-25 04:48 | ベルギー
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傘寿の祝は、大きな会場で100名以上の人が集い催された。会場に隅々におかれた花がこの寿ぎを祝ってくれているかのようだ。

こんな面白い祝花もある。ジャガイモでつくられている。結婚式のときはシュークリームなどこれが菓子に変わるわけだが微笑ましい。
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正午にはじまり、最初の2時間はシャンペン片手におしゃべりを知人、未知の方々と交える。

耳元で「おいしいものが出るから、最初の前菜はほどほどにしておくように」と注意を受けた。すぐにその教訓がわかった。

オイスターが山盛りでてきた。しかも一つ一つ剥いてあって、レモンを勢いよく絞ると、もうそこには海が広がっていくようだった。

北フランス産とのこと。牡蠣好きの人たちがこの美味をほめたたえていたが、「なるほど」と思わせる味だ。
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食事を交え、日本の結婚式のように展開していく。ただひとつ大きくちがうのは、時間である。

スライドショウ、スピーチ、ダンスに興じ、夜の10時までたっぷりと続いた。延々10時間丸ごとである。

これは体力がいる。しゃべりすぎて、アゴが痛くなってきた。ずっと踊り続けている人がいるが、「どうなっているのか」と首を傾げてしまう。

今回はテーブルで同席したベルギー人事業家の話が印象的であった。

資産家の父親は息子に一切資産をあえて残さず、一から苦労をさせたという。見よう見まねで、紡績をおぼえ、進出目覚ましい中国に目をつけた。

エプロンなどをフランス人、イタリア人のデザイナーに意匠を依頼し、中国で縫製をして、欧米で売る。そのデザイン料の目が飛び出るくらい高いこと、驚いた。

上海を中心に日本、アメリカ、ヨーロッパの大企業と提携に成功し、文字通り、巨万の富が懐に入り込んできた。

独力で切り拓いてきた実行力は素晴らしいが、それを支えた「哲学」は仏教であったというのが興味深い。今では仏教とキリスト教が折半して宿っている、とのこと。

「心と心の対話」に尽きるというのが、その商道徳である。その対話を実践するため、上海に居住し、もう何年にもなるという。

「心と心」と言って自分の手で胸を押さえた姿がまぶしかった。デェズニーをはじめ、有名ブランドと提携し、成功をおさめた陰にはどれほどの苦労を重ねたであろうか。

食事の最中に「失礼」と言って、注射器をとりだしてきたので何事かと見ていると、脇腹に注射を突き刺した。糖尿病で一日に5回もインシュリンを投与するという。成功の代償も大きい。
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延々と続いたパーティも10時に散会となると、さびしさがこみあげてくるから不思議だ。「おめでとう」という声がひとつになった素晴らしい会だった。
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by oxford-N | 2008-11-13 19:57 | ベルギー
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80歳を迎える方のお祝い会が開かれるので、前日、ベルギーのゲントを訪れた。第1次世界大戦の記念日前日にあたる。

ゲントの街はいつ来ても運河が静かに流れ、美しい。でも、この美しさは多くの犠牲から生まれてきたと知ると胸が痛む。

第1次世界大戦のベルギーの戦死者は4万と、イギリスの130万人とくらべると少ないが。それでも民間人が多く、悲しみに変わりはない。

当地へ来て知ったのだが、中国人の死者も50人くらいいる。これは戦争の際に雇われ、病に倒れた人たちである。

カナダ、オーストラリアなど、どうしてこんな遠方から、というのも大英帝国の傘下にあった国だからである。
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町内にひとつ戦士の墓地があると思えばいい。それくらい白い墓標が並び、いつも市民からの献花が供えられている。

だが、今日ばかりはイギリスなど遠方から墓参の方々があふれている。埋葬者の名簿が箱のなかに備えられている。

見てみると名前の欄が半数以上も空白になっている名簿もあった。無名戦士の空白ほど痛ましいものはない。

傘寿を迎え、今回、お祝いをする方は、この大戦が終結してからわずか10年後に生まれたわけだ。

明日は大きな拍手を贈ろう。
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by oxford-N | 2008-11-13 18:46 | ベルギー
ヴァレリー・ラルボーがフランス文学界に名前を登録したのも訳業を通じてであった。わずかアリストファーネスの訳と15編の詩をおさめただけの詩集しかなかった文学志望者が、一念発起、10年の歳月をかけて、サミュエル・テイラー・コールリッジの傑作『老水夫』の訳を問い、認められるところとなった。
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前にもふれたが、幼年時代からヨーロッパを旅行して過ごすような生活が可能であったため、ギリシャ、ラテンの古典の素養に加えて、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語が堪能で、まだほかにもルーマニア語、カタロニア語も自由にあやつったという。

戦後の沈滞した文学界が新風を望んでいたとき、アメリカの民衆詩人ホイットマンを紹介して、注目を集めたりしたが、汎ヨーロッパ的に重要になる事件がラルボーの身のうえに起きた。

ジョイスの『ユリシーズ』との出会いである。1920年のクリスマスにジョイスとパリで邂逅し、まだ『リトル・レヴュ』の連載中の第14挿話を読み、衝撃をおぼえ、友人に「片ときもユリシーズが忘れられない」と心中を告白している。

それからほぼ1年後、1921年12月7日にパリでジョイスの『ユリシーズ』について講演をする。まだ作品は刊行されていないので、ジョイスから原稿を借りて準備をすすめた。

じつはジョイスも紹介者、翻訳者を求めていた。ジョイスの誕生日である1922年2月2日、『ユリシーズ』はパリで初版が刊行された。そして4月1日号のNRFにラルボーの『ユリシーズ』についての講演記録が掲載された。

同10月にエリオットが自分が運営していた雑誌『クライテリオン』にこのフランス語の記事を翻訳して転載した。ほぼ10年もの間、ラルボーのユリシーズ論を超える評論は現れなかった。それほどの完成度を保っていたのである。

1929年に初めての『ユリシーズ』フランス語訳が刊行されるが、それはジョイス自身とラルボーが協力して、なしえたものであった。また、スチュアート・ギルバートが、抜きんでた批評『ユリシーズ論』を書くが、それもラルボー、ジョイスが手をかしたものであった。
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ラルボーは『読書という悪徳』のなかで、「一読者に甘んじ、最良の友にだけ、直接、愛読書を告げよう。その本は誰からも注目されていないが、20年もたてば有名になるはずだ」と、作中人物の口をかりてもらしているが、翻訳者としての自負にあふれたことばである。

ユーロスターの駅に立ち、パリの方向をみると、ジョイスとラルボーが出会った書店シェークスピア・カンパニーがかつてあったのだと思えてきた。(N)
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by oxford-N | 2008-08-22 05:40 | ベルギー
このパサージュをいかして開催されている古書展は、じつに本が見やすい。日本の古書展も会場にこだわることはないのではなかろうか。雨の対策さえできていれば、どこでも場所をえらばないと思うのだが。

今回、古本とのめぐりあいでうれしかったのは、1978年1月14日から2月25日までブリュッセルで開かれた「ヴァレリー・ラルボー」展のカタログを入手できたことだ。しかも13ユーロを8ユーロに値引きしてくれた。
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ラルボーについては、「オックスフォード便り」の第7回を参照していただきたいが、今回このカタログをみて再認識したことだが、ラルボーは、単なる「翻訳家」ではなかった。

そもそも「翻訳」にたいするとらえ方が、かなりフランス固有のものがあることにまず注目したい。

誤解を恐れずにいえば、フランスは翻訳を学問の中心に据えているようなところがある。学問的伝統になっているといいかえてもよい。

コルネーユ、モリエール、ボワロー、ラシーヌなどの例をみればよくその辺の事情がのみこめるだろう。これら古典作家たちは、すべてギリシア、ラテン文学を「翻訳」してから、自己の作品を書き出している。

ロンギナス、アリストテレスなどの訳をまず試みている。文学者として歩み出すにあたり、何を基準に歩んでいくかという示唆をえるため、ぜひとも必要な過程であった。

この伝統は、現代作家についてもあてはまる。クローデル、ヴァレリー、モーロワ、デュ・ガールは言うに及ばず、たとえば、プルーストがラスキンを、ジッドがコンラッドを、またボドレールがポーを、プレボーがリチャードソンを、「訳してから」世に出た例をあげれば十分であろう。

歴史的に有名な例をもうひとつあげておこう。デイドロが百科全書の編者に採用されたのも、イギリスの美学者シャフツベリーの翻訳が出版社の目にとまったからこそであった。

そのような次第であるから、翻訳は文壇への登龍門の役割をはたした。20歳のネルヴァルは、ゲーテの『ファースト』を、18歳のミュッセは、トマス・ド・クインシーの『アヘン常用者の告白』を訳して、文才を認められている。

1705年に『性格論』の名のもとに英訳された、ブルイエールの「翻訳」について、意味深長な言葉に耳を傾けてみよう――「翻訳は銅貨と同じで、金貨と同じ価値がある。利用に資する点からみれば、金貨よりも重要かもしれない。ただいかんせん、基本通貨であるため、いつも軽いのが惜しまれる」

間違っても、『悪の華』を、ポーの短編の「翻訳」よりも下に見るようなものはどこにもいないだろう。
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ラルボーにおいては、「翻訳」がさらに大きな役割をになってくる。それは彼自身のみならず、イギリス・フランスの両文化にとっても大きな転換をもたらした。(N)
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by oxford-N | 2008-08-21 14:07 | ベルギー
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ブルージュ到着2日目は、当然、古本屋巡りにあてられる。お目当ての3店とも閉店。祝日と重なったわけだ。残念至極。

ショーウインドウのガラスがベルリンの壁以上に高く、厚く感じられる。手に取りたい本が手招きしているが届かない。この悔しさを何に例えようか。

不遇をバネに次の手をうつのが古書道の定石。リル・フランダースへひきかえり、古書展をのぞく。オペラ劇場の裏手で古書市が開かれていた。捨てる〈神・紙〉あれば拾う〈紙・神〉あり。

下鴨神社のフランス版だ。いざ、出陣!

金曜日だが多くの人を集めている。めぼしいものを次から次へと手にとって、絞り込んでいく。やはり革装丁が多く、手にズシリとくる。いい感触だ。
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リルはドーヴァーからも近く、英語の本も多く交じっている。英仏むつまじいのはいいことだ。それにしても英語からフランス語への翻訳の多いこと。

コナン・ドイル全集26巻揃えなどの横に、ミュッセ全集がある。皮の状態も良く美本だ。100ユーロは安い。でも今すぐという類の本ではないので、見送ることに。このように迷ったときは買っておくべきなのだが…。
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キップリングの『キム』が1800年代の皮装で、大版、美本で出ていたので求める。30ユーロ。横のバイロン詩集も欲しいが、『キム』をとる。

さすがフランスの古書だという品揃えの数々、つぎのブースへ早くも気持ちは移っていく。どんなドラマが待ち構えているのか、はやる心を押さえながら。(N)
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by oxford-N | 2008-08-18 18:34 | ベルギー
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ムール貝が季節で、イギリスでもスコットランド産のものがよく流通している。でもなんといってもここベルギーが本場である。国民食といっても過言ではない。

1キログラムくらいが1人前。下洗いをした後、大きい目の鍋に、オリーブオイル、バターを少量熱し、そこへ水洗いしたムール貝を入れ、強火で熱する。

この熱するとき同時に入れるものによって味は決定される。あっさりとハーブのみもいい。少量の白ワインもあう。濃い味が好みの方はスープストック、生クリームをこの時に加える。

白ワインとセロリがもっとも好まれているようだ。貝が大きな口を開けてくると、蒸しあがっている。鍋ごと大きく振り、味をまんべんなくいきわたらせるといい。

付け合わせは、誰が何と言おうとも、フレンチ・フライが最高。これもジャガイモの選択から、切り口、揚げ方まで、腕が問われる。熱いポテトをさますため、ムール貝のジュースにひたして食するとたまらない。

食べ方は指で空の貝殻をフォーク、スプーンがわりにあやつる。鍋底が見えるくらい無心に食べつくすと、ビールからワインへと、自然とうつっている。

東京でもベルギービールを出す店が増え、蒸したムール貝をだすようになった。ただいかんせん、量が少なすぎる。10粒くらいしか盛ってこない皿をみると、無性にベルギーのムールが恋しくなる。(N)
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by oxford-N | 2008-08-18 07:52 | ベルギー