古本とビールの日々


by oxford-N

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オックスフォード便り 11

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自宅のそばを静かに運河が流れている。1830年代に鉄道輸送が出現するまで、運河による交易、交通が盛んであった。というより唯一の効率的な輸送ルートであった。イギリスの道路は悪路で名高いが、それに代わる輸送手段として運河が活躍したわけである。ウエッジウッドの陶器など、この運河がなくては運べなかったはずである。

でも船に乗せる荷の量などしれたものではと思われるかもしれないが、ポイントは船ではなく馬であった。馬は悪路ではせいぜい200-300キロぐらいしか運べず、馬車を何頭かで引いても、せいぜい1トントほどで、砕石舗装されているような道でようやく2トンの重量をひけたのである。

ところがこの馬を運河で引かせると一頭で30トン、清流だと50トンもの重量を引くことができた。地上だと炭田の鉄路でもせいぜい8トンが最大馬力であった。これだけの数字からでもなぜ運河が頻繁に利用されたかが理解できよう。

自動車輸送に代わってしまった今日、運河に用途は残されていなかった。ナロウボート(narrow boat)という船で暮らしている人が多くいる。住人のほとんどは大人だが、時おり、子供が船内から飛び出してきて、虚を突かれることがある。宮本輝の『泥の河』を思い出すからだ。

映画化されて、田村高廣が好演していた。廓船の少年、少女との心の交流を食堂の少年の視点から描いた作品であった。川蟹の背にアルコールをかけ、火をつけて蟹が逃げまどう残忍なシーンが出てくる。自分の母親が体を売っていることを何とか否定したい衝動からの行為であろう。母親(加賀まり子)の裸体がスクリーンに映し出されるが、背中には大きな蟹と思えるような刺青が彫られていた。ある日、突如として廓船は動はじめ、少年の視界から姿を消そうとする。友達になりかけた少年が動き出した船の後を追いかけていくが友達の姿も声もない。「いっちゃん!」という痛切な叫び声は暗い川面に沈んでいくだけであった。

長さ17メートル40センチ、幅2メートル足らずのナロウボートは地上の一般住居と変わらない設備がしつらえてある。水道、電気も係留地で補給できる。でも、なぜ船なのだろうか?地上生活の方が変則なのであろうか。何の拘束もなく、自由な水上生活を謳歌している様子を見ていると、つい考えてしまう。この問いに対する答えを何とか見つけたいと、行き交う船影を見ながら考えている。(N)
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by oxford-N | 2008-05-29 11:25 | 古本

オックスフォード便り 10

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ロンドンにロンドン駅がないように、オッスフォードにもオックスフォード大学自体はない。30数校のカレッジを総称してオックフォード大学といっているからだ。そんな大学街のイメージが定着しているせいか、短期の滞在者にとっては中世の色濃く残る大学町と映るのだろう。今回は大学の街とはいささかちがう側面をご紹介しよう。

街の中央を走るグレイト・ウェスタン鉄道の駅から歩いて5分もしない所に、大草原が広がっている。牛、馬、羊がゆっくりと草をはみ、湿原には野鳥が飛来する。澄んだ水のなかを覗くとゲンゴロウのような虫が遊泳している。時折、犬の散歩にくる人と挨拶を交わす。周辺の人にとっては何もことさらハイキングに出かけるような場所ではなく、ごく近所の野原で、散歩コースなのである。それでも、このポートメドウ(Port Meadow)だけで、街の中央、周辺部は軽く入ってしまうと言えばその大きさを分かっていただけるだろう。

この大草原(の一部を)を横断して、ウルヴァコート(Wolvercote)という土地を目指す。出入り口の標識など一切ないから、樹海をさまようような気持ちになる。木々に覆われ、よく探さなくては分からない出入り口が数ヶ所しかない。手つかずの自然を温存しようとする意図はわかるのだが、散歩している人に出会わなければどのあたりを歩いているのやら皆目分からない。

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ウルヴァコートにたどり着くと、音を立てて流れる清流の響きが耳に入ってくる。もうすぐだ。目指すは18世紀から店を開いているというパブ『ます亭』(The Trout)である。ヴィクトリア朝の文人たちもよく訪れたという由緒ある店で、今はすっかり現代風に改装されているが、内部は昔の面影をよくとどめている。

店に着くと、大きな孔雀が出迎えてくれた。どうもお腹がすいているらしく、食事をしているテーブルに顔を突き出している。愛嬌があるのでみんなの人気者だ。でも写真が気に入らないのか、構えるとすぐに横を向いてしまうわがままなスターでもある。

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あいかわらず耳に心地よい清流の響きが音を立てている。これがテムズ川の…、と思わず疑がってしまうほどの清流である。日々の疲れが洗い落とされていくようだ。水面へ誰かが小石を投げたのかと振り向くと、魚が跳ねた水音だった。さすがに疲れて、帰りはバスに揺られていると、たった15分ほどで中心街に舞い戻っていた。どこが夢と現実の境目だったのだろうか。草のそよぎと水音だけが耳に残った。(N)
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by oxford-N | 2008-05-28 12:56 | 古本

オックスフォード便り 9

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ひとまずオックスフォードにもどり、当地を案内しょう。まず新しい土地に移り、もっとも気をつけることは住居選びであろう。家の選択は古本選びとよく似ている。気をつけないと、ページの上を走る赤線、書き込み、はては乱丁に当たるような事態が生じてしまうからだ。たとえば隙間風が入ってくるというのはページの破れといったところか。でもさすがにこうした欠陥は新しい入居者を迎える不動産屋でも注意している。

では注意を払わなくてはいけないのは何か。それは住環境であろう。10年前、コーパス・クリスティ・カレッジにきた時には大学内に住み、カレッジ・ライフを営もうかと思い、2、3日様子をみたが、もう若くはなかった。のべつまくなしに騒ぎまわる学生たちの近くにいるには年をとりすぎていた。同僚との「お付き合い」もひとつの懸念材料であった。とにかくよく飲み、おしゃべりが大好きなのだから。

そこで選んだのがボドリアン・ライブラリから10分程度で通える閑静な土地であった。10件くらい不動産屋とまわった最後の物件に15世紀の厩舎を改造した家屋があった。住所表記も Old Stables であった。馬が住んでいたところに人間が住むのかと反発を覚えたが、花を満開にした大きなしだれ桜の木に迎えられたとき、即座に「ここにします」と即決した。大正解であった。来訪した人たちが「よくこんな場所を見つけたなぁ」と褒めてくれた。古本でいえば、掘り出し物ということか。

今回も先例に倣おうとした。でも同じ地域を繰り返すのでは面白味がない。だが現実問題として、静かな環境を念頭においたとき、どうしても郊外に行かざるを得ない。大学、図書館へはバスなしで通いたい。この二律背反が悩ましいところである。それでも忍耐を重ね、両者を立てるような場所をついに探し当てた。探していた本と巡り合ったというところか。ジェリコ(Jericho)という街である。トマス・ハーディの『ジュード』の舞台となった場所としても知られている。この作品を顕彰し、同じ店名のパブが目抜き通りにあるくらいだ。一人の青年が挫折を繰り返しながら人生を歩んでいく物語である。ぴったりではないか。

パブと言えばコミュニティの中核になる。町中が寄りあう場所である。ごく近所にあるパブの店名が Old Bookbinders という。また気に入ってしまった。新しい物語が生まれてくる予感がした。店に置き忘れ去られた本が棚に無造作に並んでいる。なぜかチャールズ・キングズレィの本が多い。今でも『水の妖精』は阿部知二の訳で出ているはずだ。常連のなかに愛読者がいたのだろう。「読みたいので貸してくれないか」と尋ねると、「誰も読まないから持っていっていいよ」という素気ない返事。またまた気に入ってしまった。このようにしてオックスフォードの生活がはじまった。(N)
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by oxford-N | 2008-05-27 11:34 | 古本
今日一日は本のことも忘れ、ゆっくり静養しようと海水浴場で有名なクノックというオランダに近い港町にきた。まだ5月だというのにもう海にはたくさんの人が入っている。うす暗い日々が続く北の国では少しの陽光でも身体に吸収しようと大勢の人が海岸を埋め尽くしている。
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けたたましい音楽が響くので何事かと目をやると、冬物(!)のファッションショーである。季節感が土台から崩れそうになる。時間を超越し便利になる一方、結局、時間に支配されているのだろうか。先日買った本をもってきたが、眠気が襲い、アントワープに抜けて行く風がページをめくっているだけであった。

夜、皆でバーベキュウをしようということになり、早速、肉が持ち込まれたが、見て腰を抜かした。工事用のブロックくらいあるであろうか。焼肉屋での牛肉になれているわれわれは薄い葉っぱのような肉を食べていたことになる。大味かと思いきや、それがどうして、どうして。なかなかの味である。鮪もトロよりも上質の赤身がおいしいように、じつに繊細な舌触りだ。調味料は塩、胡椒のみ。それでも居合わせた人たちが「神戸牛を食べてみたい」と言い張るのだから、どこへいってもブランド信仰は根強いものだ。
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食後、牛にならないように夜の街を「見よう」と口々にいう。ゲントの川べりを歩こうということになり、出かけていくと、ナイト・ライフの在り方がよくわかった。条例で景観が規制されていて、ファサード(前景)は必ず現状を維持することと決められている。アメリカ資本のホテルが進出してきてビルを建造しようとしたのだが、ファサードはそのままにして後ろにビルを建てざるをえなかった。それにしても美しい街である。志賀直哉が自分の短編集に『夜の光』という名前を与えた。電燈や灯火のことではなく、夜そのものが光り輝くという意味らしい。まさにそんな感じだ。運河を利用して繊維産業で栄えた町だが、これからも中世のたたずまいは変わることがないであろう。
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by oxford-N | 2008-05-26 11:35 | ベルギー
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箱の前で小一時間ねばり、ヴァレリー・ラルボーの『イタリア便り』を選んだ。理由はイギリス文学の恩人だからである。ジョイスの『ユリシーズ』の文学的意義を認め、いちはやく紹介したのもこの人であった。ユートピア文学のサミュエル・バトラー(『エレホン―どこにもない国』)、渋澤がぞっこんであったサー・トマス・ブラウン(『医師の宗教』)からウィリアム・フォークナーにいたるまでひとりでフランスへ移入した。とりわけウォルト・ホイットマンの詩を愛好してやまなかった。異なるラテン精神をそこに認めたからであろう。こうした文学的な関心とは別にもうひとつ興味があった、その人間性に。

そもそもラルボーの名前を知ったのは春山行夫の『詩と詩論』においてであった。最初、うかつにもポール・ヴァレリーの親戚かな、と思ったのをよく覚えている。確かジョイス特集号であったと思う。それからしばらく忘れていたが、岩崎力氏が長短編を麗筆にのせられたのが再読のきっかけとなったか。今はなきコウベ・ブックスから『読書―ひとつの悪徳』という魅力的なエッセイも出ていた。

ラルボーは1881年生まれ。8歳の時に父を亡くし、膨大な遺産を受け継いだ。父親はミネラル・ウォーターの源泉を所有していた。そもそも日本の場合でも、村一番の金持ちといえば造り酒屋と相場が決まっている。「水」となると村どころか、地方一の名士といってよい。現にヴィクトリア朝の国家的大事業であった『イギリス人名辞典』を始めたジョージ・スミスも鉱泉飲料水アポリネーリスの専売者であった。水は打ち出の小槌か。

ラルボーは10代にしてすでにコズモポリタンであった。中途半端な成金ではない。社交界を中心に生きるような生活をおくりつづけた。正規の教育も受けずに性格の織り成すままに成長をしていった。情熱はすべて文学に注ぎ込んだ。だが、こうしたひとつの人格が迎える結末はおおよそ見えている。あらゆるジャンルに手を染め、多くの文学作品を残したが、不朽の生命を保つのはその日記、書簡である。断腸亭をもしのぐ膨大な日記、書簡集には自己のアイデンティを希求する魂の彷徨がみられるからだ。また彼自身、自叙伝を小説以上に小説らしい文学形式であると語ってやまなかった。

『イタリア便り』と同じような書簡体作品を多く書いたが、『バルナブースの日記』への助走であった。ラルボーはこの作品で自己を十全に語り尽くし、解放する作品を創りあげたのではなかったか。『イタリア便り』にはまだ『ロンドン便り』の苦渋感が見られず、のびやかさが横溢している。ラルボーが40歳を迎えたころの作品であり、悲劇的な発作が襲うのはほぼ10年後のことである。

文学愛好者の遺品だと露店の女性が説明してくれたが、たしかにどの本も手入れがよくいき届き日焼けの跡すらない。愛蔵していた人物がしのばれる。出版元はリエージュの「アラジンのランプ」、361部限定版の338番本。20番本までが手漉き和紙に印刷された特装版である。ぜひとも掌の上にのせてみたいものだ。マーブル鮮やかな版型は5インチx6.5インチの絶妙のバランス。25ユーロを「日本びいきだから」と18ユーロに。(じつは20ユーロまで下がったのだが、「もう一声」と哀願した結果、18ユーロに。言ってみるものです)

次に選んだのは祈祷書である。聖書、賛美歌、日々の祈りが説かれている。装丁本位で本を求めることは極力やめようと戒めていたが、今回ばかりはその戒めを破ってしまった。だが、時間がたつうちにそうではないことが分ってきた。内容と装丁が渾然一体となって融和していることに気づいたからである。

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祈りの書であるからにはいつも手の中に収まるようにできていなければならない。胸に、ポケットにしのばせておいても負担になるようなことがあってはならない。程よい軽さ、大きさが求められるのは言うまでもない。悩みがよぎったときすぐに手中にあらねばならないからである。

このようなことを前提として念頭におくと、この祈祷書の「用と美」はみごとに一致している。まず重量の軽量感をえるために辞書によく用いるインディアン・ペーパーに似た、それでいてページが透けることのないほどの厚さの紙が使用されている。指の感触もいい。すべってページが逃れるようなこともない。

でも、この造本の勝利はまぎれもなく本の大きさにある。何度、手のなかで転がしてみても実にしっくり収まるのである。絶妙のこの紙型はどのようにして決まったのであろうか。何度も手にしているうちに面白いことに気づいた。親指と人指し指で直角をつくってみると、その中にぴたりとおさまってしまうのである。宇宙と身体は照応していると述べたダ・ヴィンチの真意がのみこめた気がする。

造本にふさわしく、なめし革が全体をやわらかく包みこんでいる。皮革装丁特有の硬さがまったくない。この感触をもって、荷風散人ならば、愛玩おくあたわず、と破顔したところであろうか。濃いブラウンの色調が逆に輝きをあたえている。だがこの色もあくまで金箔の意匠のために控えているといってよい。

ァール・ヌーヴォーのデザインがこのように堅固に計算された上に施されていく。唐草模様は見返しページにとどまらず、小口模様にいたるまでからみついてく。言葉が言葉を追っていくようにとどまるところをしらない。アール・ヌーヴォーといえば、すぐにビアズレィ調の世紀末の病を体現しているように思われてしまうが、本質はおおよそそうした時代の閉塞感とは対極点にあることがわかってくるのであろう。

本に圧倒されてしまい、値切ることも忘れていたら女主人の方から一割引いておきましょうと、恵みの言葉をかけられた。20ユーロ。皺くちゃの老婆から後光が差していた。(N)
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by oxford-N | 2008-05-24 13:04 | ベルギー
休日と祭日を利用してベルギーまで足を延ばしてみた。ユーロスターは時間帯に応じて料金設定が違い、乗る方も自分の時間を組み立てられるので何だか旅をしている感じがする。最終便だとピーク時の3分の1から5分の1まで値下がりする。わが新幹線の最終便などは混雑の極みだから導入はとうてい無理か。それにしても速い。特等は3コースの食事にシャンペンがつくのだが、どうしてこんな短時間でゆっくりと食事ができるのだろう。前菜が終わらないうちに到着してしまうのではないか。帰路などブリュッセルを3時に出て、ロンドンに3時45分着というような発着時刻を聞くとどうも落ち着かない。時差の関係で時間がずれているだけなのだが…。

そんなことを考えているうちにブリッュセルの中央駅に到着した。今回の旅では集中して古書を見るのではなく一歩さがって本を眺めるような姿勢をとりたいものだ。本を新鮮に見るためにはこのようなスタンスも時には必要だ。

まず観光地はできるだけ避けよう。ゲント、ブリュージュ近くにコートリークという古い街がある。ここでマーケットが出るという。到着後早々に行ってみた。露店は何百も軒を連ねているのだが、ガレージセールの毛が生えたようなものばかりで失望した。やはり古本の虫が騒ぎだしたのかどうも落ち着かない。でも雑本や児童書ばかり…。ブリュッセルの古本街へ行っていた方が得策だったかと後悔しだした時、目の前に面白いものが飛び込んできた。

これが何かお分かりでしょうか?ヒント1、壁に掛けます。フランス南部の古い酒屋から出たということです。答えは最後にまとめておきましょう。
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次のこれは難問です。地元の人も誰も答えられませんでしたから。でもチャレンジしてみてください。ヒント2、毎日使うものです。丸く切り取られているところを注目すると分かってきます。
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これは形状からお分かりですね。ヒントもなしでお分かりでしょう。でもこれは痛ましい。15歳用と書かれている。持たされていた子供は無事だったのだろうか。こんな静かな街で二度も大戦の戦場であったことを改めて思い起こさせてくれた。
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骨董の露店を過ぎていくと段ボールのなかに革装丁の本が並べられているではないか。これはひょっとして、ひょっとするぞ、と思う間もなく箱のまえに陣取っていた。習性は恐ろしい。さてこの箱から何が出てくるか、じっくりご覧あれ。(N)
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[解説と答] 最初のものはワインの栓を抜くオープナーです。丸くかぎ型になっているところにワイン・オープナーをかけて、横手のレバーを一気に下げます。つまりオープナーのオープナーなのです。一晩に何十本もワインをあける酒場には必要なのでしょう。次は丸いところに自分の靴のかかとをいれます。もう一方の足を残りの板の上に置き動かないよう固定して、自分の靴を脱ぐわけです。靴の国ならではの道具です。最後の毒マスクは説明の必要もないでしょう。これは余談ですが、帰路、警戒厳しいフランスのリルを通関するとき、栓抜きでさえ説明してもなかなかわってもらえませんでした。変わったものを持ち歩くのも考えものです。テロリストと疑われてしまいますから]
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by oxford-N | 2008-05-23 13:04 | ベルギー

オックスフォード便り 5

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前回紹介した古書店の「オックスハァム」について今回は報告しよう。「びわこのなまず」先生のブログ(ウンチク註:mixi です)の愛読者ならば記憶にあるのではあるまいか。1年ほど前に紹介されている。先生もチャリティ団体が経営を…、といささかの疑念をもたれたようであるが、老舗の古書店が消えていく中で、ここオックスフォードで気を吐いているのがこの店である。

たしかに慈善団体の運営になるが、「ご不用の書籍取りにあがります」なんて店先に書いてあり、中身は専門の古本屋と変わりがない。店番こそボランティアがやっていて、本の質問をしてもらちが明かないが、値付けは全く別人がするとのこと。現に聞いてみるとこの道何十年のプロが担当しているという。どうりで古本好きのつぼを押さえているわけだ。

この店が年に数度、自分たちの支店を結集して、古書展を開く。週末に近所で開催されたので覗いてみたが、日頃、店頭の陳列ケースに収めてあるような珍品は出品されていない。日常ひも解くような実用書、小説、ノンフィクションの類が多い。だがこの「日常」というところが抑えどころなのだ。

購入したのは3冊。マコーレィ全集を先日買ったものだから、そのついでに『マコーレィ「英国史」の分析』という1930年代にでた参考書(1.5ポンド)を求めた。また近じかアイルランドへ行く予定があるので、大冊のガイドブックを(3ポンド)。これなどはとても持ちはこびできるような重さではない。それでいてガイドブックなのだから携帯するものだろう。つまり旅行は自動車で、ということが大前提になっているのか。

『英国散策 50選』(2ポンド)。これはうれしかった。10年ほど前に出版されたイギリス国内を歩き回ろうという趣旨の案内書だが、歩き方から、その土地の来歴、名所由来は言うに及ばず、別ルートの解説から「石多し」という注意まで添えてあり、まさにかゆい所に手が届く編集ぶり。たとえば妖精の国といわれるコーンウォール地方の歩行ガイドに添えられた写真をご覧あれ。朝もやのなかから立ち上がってくる村落や街のたたずまい。どれもが表情をそなえている。
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生産開始というところで打ち捨てられ、一度も稼働せずに終わった銅の精錬工場跡。波打ち際に無言で佇む光景はなにも旧跡だけが美をたたえているというわけではないことを訴えている。近年、「国民遺産」に指定されたというが当然である。これぞ現代のピクチャレスクにふさわしい。海岸の風景には説明などいらないだろう。このガイドを目にして誰でも足がうずいてくるはずだ。

そう、そう、この近くに『コーンウォール』というパブがあったと思う。重くなった手を休めるのにもってこいの場所ではないか。冷たいビールを片手に、来週の週末、どこを歩こうか、思案しながらページをめくるのも、いや、歩くのも一興か。(N)

[速報! 前回お知らせしたコナン・ドイルの『緋色の研究』が今日(5月20日)にテレビカメラが入る物々しさのなか、競売にかけられ、7000から9000ポンドの予想値が入っていたが、軽く上回る15500ポンドで正午前に落札された]
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(前回の「オックスフォード便り4」はカテゴリー欄へ移動しました)
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by oxford-N | 2008-05-21 13:08 | 古本

オックスフォード便り4

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こちらもインターネットの網の目がもうこれ以上しまらないくらいに、ガチガチに食いこんでいて、おいそれと情報がその網の目から抜け落ちるというのはどうやら不可能なようである。古本の世界も例外ではなく、値段の均一化が進んでしまった。

だが、それでも盲点があるようだ。専門店は別にして街の古本屋ならば雑誌はこの盲点の中にあるようだ。ヴィクトリア朝の製本された雑誌でもかなり廉価でかえる。むろん名探偵ホームズが最初に登場した『ビートンズ・マガジン』のクリスマス号(1887年)のように表紙からすぐわかるような雑誌は例外である。オックスファムという、地元のチャリティ団体が運営する古書店が家庭から出た処分雑誌からこのマニア垂涎の雑誌を掘り出し注目を集めている。オークションに出すと言っているから競り値は新車一台分くらい軽くついてしまうであろう。

話は横道にそれてしまったが、今日求めた『レジャー・アワー』という合本された教養・娯楽雑誌を見て欲しい。これぞ文化研究の対象からかなり外れるような雑誌である。それでいてこれほど当時の文化を直截に語って余りある雑誌も稀であろう。明治、大正のころの家庭雑誌、婦人雑誌と比較してもらえば分かりやすいであろう。

大英帝国が拡張路線をたゆむことなく膨らませ続けていることが分かる。それが端的に表れているのが、世界の地誌に対する関心であろう。それでも外国旅行は庶民の手が届くところまではまだいっていない。とりわけアジアはやはり「遠い国」であった。それでいて興味は膨らむばかりであるからいっそう始末が悪い。

ここに表象された日本は中国かと思われるような面が色濃くにじんでいる。それは仕方がないにしても、富士山がヒマラヤになっているのは許せないぞ。1851年のロンドン大博覧会には日本も参加して10年近く経とうというのにこの程度の認識しかなかったのである。金の原石がそのままゴロゴロ転がっているというような記述まである。そんな場所がどこにあるのか、ぜひとも教えてもらいたいものだ。文化の伝達はかくまで一方的で、自分が見たいようにしか見ない、いや見えないのである。これは男女間もそうであろう。これぞもっとも近くて遠い異文化交流であろうか。「黙れ」という声が飛んできそうである。値段7ポンドのところを引いてくれ6ポンド。(N)
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by oxford-N | 2008-05-20 13:13 | 古本
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5月4日(日曜日) 

 連休も佳境を過ぎいよいよ残すところ1日となりましたが、お変わりございませんでしょうか? 異国にいて日曜日の楽しみはインターネットで日本の新聞をまとめて読むこととこちらの日曜版の新聞に目を通すことにあります。コンピューターの画面には高速道路の渋滞が報じられていて、お盆、年末そして連休の風物詩だなぁ、と思わずつぶやきました。寅さんの映画もこの歳時記に合わせ制作されていたとか、萩原健一主演の『渋滞』という映画まであったとか、なつかしく渋滞をよしなしごとのように振り返るのであります。

 さて日曜日に新聞を買いに行く楽しみは格別です。朝の冷えた外気に身をさらす気持ちのよさ。冷たくなった身体はあたたかいベッドを求めます。そうです、小脇に重たい『サンディタイムズ』を大事にかかえ、一目散に寝床へ舞いもどるこの幸せは代えがたいものがあります。

 ベッドに横たえて何から読もうかと心躍らせながら思案し、記事に応じて仕分けをしていくのです。まず量が中途半端ではありません。朝日新聞の日曜版もかなりの量がありますが、比ではありません。10倍はいかずとも軽く7、8倍はあるでしょうか。重さにしても2キログラムは十分こえています。この重量のためか、仕方ないと言えば仕方ないのですが、紀伊国屋、丸善ではほぼ400円の本紙が数日遅れで3000円以上で売られていました。とは言え、この重量感がまだ足踏み入れぬ桃源郷の重さでもあり、かえって重くなくてはいけないのだという気持ちにまでさせてくれます。

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 軽く眼を通して横におく特集は「財形貯蓄」「求人」「車両販売」「不動産投資」などであります。次に力をやや込めるのが「ニュース」「旅行」「グルメ」「スポーツ」の特集ですが、イチロー、松井の活躍が載ることはまずありませんから中村俊輔の動向を追うことになりましょうか。でも「家庭」「レヴュー」はしっかりと目を通すことにしています。前者からはイギリス文化誌の単行本では切り落とされてしまう部分がた丹念にふれられているからです。たとえば今日の号には化粧の「パック」が言及されています。この「パック」なる行為は前文化のどのような部分と接合しているのか、などと連想を誘ってきます。ここに紹介する、全身キュウリでおおわれた「パック人間」を見るだけでも一見の価値はあろうかというものです。

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 だが何と言っても熟読してしまうのは「文化特集」それも「読書欄」です。早くも夏到来の記事が巻頭に飾っています。イギリスは北国ですから南に対する憧れは並大抵のことではありません。表紙の写真はかのロマン派運動をみごとに収斂させたC.D.フレドリックの『雲海に立つ旅人』(1818)の巧まざるパロディになっています。だから期待はいっそう膨らんでいかざるをえません。メッセージは魂の解放をうたっているからです。その一端に読書もあるのかと思うとついうれしくなってくるではありませんか。

 『論座』の最近号で書評文化なるものが論じられていたのは記憶に新しいのですが、そこでもイギリスの書評についてかなり紙幅が割かれていました。1冊の本にゆうに朝日、読売の書評欄すべてが与えられていると言えば分かりやすいでしょうか。いや論じられる本によればそれ以上のスペースが与えられていることもあります。特集は「本にまつわる最近の状況」「伝記」「回想録」「ミステリー」「健康」などなど、そして日本の「今週の文庫本」に当たるコ―ナーが「ペパーバック」欄となるわけです。ミス・ヨーロッパの顛末から若き日のスターリンまで多彩なタイトルが短評で紹介されています。乗客の視点から描かれた乗客史ならぬ「鉄道史」などは午後の散歩の折にでも書店で手に取ってみようと思わせるもがあります。「本書をひも解けばフィッシュ&チップスがなぜ国民食になったかがわかるであろう」などと書かれていては、この本を手にしようとする誘惑に屈さない人などいるでしょうか。

 本の再販制を論じた論評はこの国の読書文化が岐路に立っていることを示唆しています。だが同時に経済的な統制よりも、人にとって読書はどうあるべきかといった立場から有力な意見が出てきそうです。これが英国の「常識」の底力のように思えてなりません。

 連休残る1日の休日はいかがお過ごしですか?
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by oxford-N | 2008-05-04 13:15 | 古本
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今朝はイギリスの天気でも最悪の部類だろう。日本の梅雨を先取りしてどうするのだと嫌みの一言も天に浴びせたくなってしまう。水曜日は市が立つ日だというのにガッカリだ。というのも古本屋は濡れるのを嫌い出店しようとはしない。案の定一店も来ていない。開場まで時間があったのでマーケット一巡してみると、地中海からの果物、野菜がすさぶ気持ちを慰めてくれる。その鮮やかな色彩に安らいだのか、ツバメの舌を雨がぬらし、という西脇の詩句が浮かんできた。別に珍しくはないが日本ではこのような売り方はしないだろうと思うような並べ方で靴の中敷きが並べてある。しかも仰々しく「英国製」と銘打って。われわれ下駄の民族とはかくも違うのだと思わせる光景である。やはり地中海の唐辛子は色がいいねぇ、と知ったかぶりをしてみせると、売り子から「これ、タイ産ですよ」と軽く一蹴されてしまった。

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11時、開場5分前につくとすぐに注意事項が読みあげられ、早速、セリにはいっていった。掛け声は電光掲示板のように秒をおかずにかわっていく。あらかじめ登録してある番号札をあげて意思表示をする。まさに瞬時に値が入り決まっていく。築地市場にいるようなものか。以前と様変わりしたことは携帯電話の参入である。予期せぬところで鳴り出したり、友人とすぐに入れ値の交渉をやりだしたりするものだから場内はやや騒がしい。何点か狙っていたものがあったが、どうも手が重い。なぜだろうと首を傾げてみると原因はすぐに判明した。今日、一ヶ月分の家賃を払ったため、出費がかさみどうやら自動制御装置が働き、手が麻痺しているようだ。これではいけないと気を取り直そうとしている間にかなり先に進んでしまっている。ようやく1点を競り落とした! 均一台で全集の端本を何年もかけて集めていたがあつまらない。ここで一気に買ってしまおうという魂胆だ。マコーレィ全集(1898年)、全12巻、締めて10ポンド。脇差しを4000ポンドで引き落とした知人と比べてなんたる落差。でもなぜか晴れやかだ。両手に重みを感じながらも、降り続く雨はまったく気にならなかった。(N)
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by oxford-N | 2008-05-01 13:20 | 古本