古本とビールの日々


by oxford-N

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図書館横のブレイノウズ・カレッジへ行く用事があったので、久しぶりにカレッジ前の古書店「オックスハム」をのぞいてみた。ショーウインドウに『スチュデオ』の分冊が飾られている。年度ごとにまとめてあり、見やすいように配慮がなされている。でも1冊5ポンドとは少し高いのでは?

店内を物色すると思わぬものと出会った。田山花袋が『東京の30年』を書くときに参考にしたという、ドオデェの『パリの30年』である。新書の倍くらいの紙型で、凝った装丁だが、惜しむらくは背皮のため、上部が割れてしまっている。

とにかく読みやすい。もとのフランス語が流暢なのか、それとも訳がうまいのか、分からないが、リーダブルである。とても100年以上の歳月がたっているとは思えない訳文である。全然古びていない。花袋が読んだのと同じ本であろう。

でも10ポンド投資した甲斐があった。何度も花袋の顔がうかんだ。館林の家にも行ったことがあるので、よけいに親しみを感じる。結論から言おう。花袋がこの本から学んだものは、「追憶の仕方」である。この本を読み、加速度的に筆は進んだと想像できる。

たしかに細部が似ているところが多々あるが、そんな箇所をとりあげてもはじまるまい。「時の移ろい」をどのように描くか、この1点に花袋の注意は集中した。交通など外界の変化も時間の流れを客観的に伝えるので、花袋もそのことは忘れずに書きこんでいる。

でも大切なのは、花袋とおぼしき「語り手」が時間とともに変化していかなくてはいけない。「わたし」の意識が時の流れをつくらねばならない。さいわい明治のこのような回想ものにはあらかじめ決まったパターンがあった。

鄙びた田舎から、主人公が上京し、苦労して世に出る、というパターンである。花袋のこの回想記もこの枠組みを援用している。でも、この枠組みが現実をもつためには、細部の描写が不可欠になる。

『パリの30年』の方でも、主人公がパリにでてきて、寒さと空腹でまず都会の厳しい洗礼をうける。兄を頼ってパリにでてきた主人公と、「私は田舎の城下町から祖父に伴われて、寒い河船の苫の中に寝て、そして東京へと出て来た」と書く花袋とのあいだに差はない。
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文学を志したものの、なかなか受け容れてはもらえない。世の東西を問わず、文学的デヴューは難しい。そう簡単にはいかない。書きあぐねて、苦しむところもまったく新進作家の場合、同じである。情熱の空回りだ。

「何処に行っても、何をみても、私の体はすぐふるえた」というくらい敏感な感受性があるが、感受性だけで文章が書けるものでもない。創作の苦しみはここからはじまる。花袋は、散々手を入れられ、初めての作品をものにする。しかも作者名が誤植ででるという屈辱にまみれて。

サロン(フロベールのサロンも登場する)、先輩作家との出会いなど多くの共通項をもちながらも、『東京の30年』と『パリの30年』が決定的にちがう点は、作家の「死」である。前者は、若死にしていく文学者がたえない。

眉山、独歩、…。明治の作家は死と隣り合わせになっていた。これは風土のちがいであろうか、現実とはいえ、どうしても暗くなってしまう。でも、文学者が鋭敏な時代のアンテナであったとするならば、「死」の事情は異なってくる。

パリの文壇は社交が主になっているからか、陰湿な面も多々あるにせよ、軽妙で明るい。主人公が苦しむことは苦しんだりするのだが、どこか前向きである。この差異は、国民性に起因するよりも、建国途上の国と、微動だにしない帝国のちがいからくるものなのかもしれない。(N)#
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by oxford-N | 2008-07-31 05:46 | 古本
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後年、ベケットが英語をすてて、すべてフランス語で書くようになった事情の一端は、ジョイスにある。ジョイスの影から逃れるための方策とみると分かりやすいが、むしろ逆だと思いたい。ジョイスは言語のすべての絆を断ち切り、最後の作品では新しい言語の可能性を探ろうとした。

ベケットはフランス語で書くことで、ジョイスと同じ可能性を探ろうとしたのではあるまいか。「ジョイスは貪欲な作家である」というベケットのことばは重い。

ベケットの古くからの友人の回想が興味をひいた。友人が作家になる決意を表明したとき、「どんなものを書こうが、妥協をしてはいけない。金銭や名声を求めるなら、作家以外のほかの道をえらべ」とベケットは忠告をした。

ニューヨークの『パリ・レヴュ』が「仕事場の作者」(『海』にも何編かが訳され掲載された)という特集を組み、有名作家のインタヴュを載せていた。ベケットは当時、パリに住んでいたので、取材費はすべて雑誌社もちという夢のような話がその友人のところへ舞い込んできた。

取材はどうせだめだろうと思いながらも、豪華なホテル、ぜいたくな食事の誘惑に抗しきれず、友人はベケットに取材を申しこんだ。”Sorry, I have no views to inter.”という一言だけが返信にあった。

ベケットが終末病棟にはいっていた最後の出会いは痛々しい。友人といっしょに食事をとった後、ベケットは道の中央で急に立ち止まり、肩に手をおき、マラルメの詩を朗読しだした。マラルメが「白い苦悩」を訴えた詩である。創作の苦しみと言いかえてもよいか。

詩を朗読し終えるや、ベケットは「書くよりも、ものを書かずにいることは悪いことなのだよ」と言いのこし、病棟に通じる扉の後ろへと消えていった。友人はあふれる涙をコートの袖でぬぐうしかない。それは風の強い日であった。

空を見上げると美しい夕焼けが広がっていた。

昼から夜にかわるわずかな時間に、空は息もつけないような色彩を見せてくれる。瞬間、瞬間に表情をかえていく。昼が闇におおわれようとするのを抵抗しているのだろか。それとも光がすすんで、闇のなかに溶けこもうとしているのか。これは空がかなでる音楽だ。(N)
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by oxford-N | 2008-07-30 20:39 | 古本
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「城の見える古書店」で求めた1冊(James and Elizabeth Knowlson, ed., Beckett Remembering/Remembering Beckett, 2005) を紹介しよう。本書は、サミュエル・ベケットへのインタヴューと友人のベケット回想の2部からなっている。編者は『ベケット伝』のノールソン。

第1部はベケットの生涯を時間軸で追っていく構成で、家族、友人、影響を被った作家、出来事などどれも興味深い挿話がつづられていくが、ジョイスとの出会いは決定的な意味をもつようだ。

若いベケットにたいしてジョイスは親しみを寄せて、『フィネガンズ・ウェイク』の一節を朗読してくれたりした。最初にふたりを結びつけたのは共通点が多かったからだ。同じようなアイルランドの大学で学び、フランス語、イタリア語で学位をとり、話題はダンテが中心になった。

年令の違いもあるのか、ジョイスにとってベケットは気を許せる相手であった。食事前の散歩の相手というように。若者は全身全霊でもって相手を敬い、もう一方は若者を気に入っていた。

お互いピアノが共通の楽器であった。ベケットがジョイス一家の前で独奏すれば、次にはジョイスが得意のテノールをふるわせ、ピアノにあわて歌い出すというように――

Bid adieu, adieu, adieu
Bid adieu, to girlish days.

ベケットは作家になれなければ作曲家になりたかった。作曲家にもなれなければ、芸術の方面に進むのは断念しようと考えていた。

創作への態度が両者はまったくちがった。ジョイスはつねに「つけ加えていく」作家である。どの原稿ゲラをみても、推敲は後から後から添加、追加の連続である。この点がベケットとは決定的にちがう。

ジョイスからは自己の芸術に邁進する態度を学んだが、「統合」を第一義にするジョイスにたいして、ベケットはまったく対極に立つ。ジョイスは人間の営みすべてを2冊の本に投入したが、ベケットは本質に行きあたるまで「分析」の魔と化していく。

以上がベケットに引き寄せたジョイス像であるが、ベケット自身も気づかないレベルでジョイスの影は彼のなかに深く食い込んでいた。晩年はその影からのがれるために悲惨な努力を強いられることになる。
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ベケット特有の「まなざし」はラッパー写真からもうかがえるが、この鋭さは動物的である。となりの猫の目とよく似ているのに気づき、以後、その猫を勝手にベケットと呼んでいる。猫にとっては迷惑だろうか。 (N)
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by oxford-N | 2008-07-29 14:53 | 古本
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空はどこまでも晴れわたり、運河の流れもゆったりしている。ついに夏がやってきた。これでセミの声さえあれば日本と変わらないのに、と思いながら運河沿いを歩いていく。出会う人がみんな声をかけてくる。夏の到来がうれしのだ。

1時間ばかりいくと、いつものパブ「ます亭」にでてきた。すごい人で、腰を下ろすところもない。テムズのせせらぎに人込みは似合わない。カモの一家どことなく落ち着かない様子。早々に退散しよう。帰路、路を下っていくと、古風な民家とぶつかった。
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このような家にすむのがイギリス人終生の夢ときく。不動産広告をみてもボロボロさがひどいほど高価なようだ。もちろん手入れ・補修が大変だ。でも内側はどの家もニューヨークのマンション並みに近代化されている。その落差がたまらないのだろう。

すぐに来たバスに飛び乗ると、料金が値上げされている。片道2ポンド。冗談じゃない。新刊割引本が1冊買える値段だ。定期券、回数券の利用を促している。友人から日本のガソリン代の高さを訴えるメイルがよく来ていたが、どこか他人事であった。だが、「同志よ、共闘しよう!」とつい大声を荒げたくなる。

ムシャクシャしながら市内で下りると、また観光客のうず。当分、週末は外出を控えようとおもい、気分直しに古書店「オックスハム」へ向う。何も品がわりはしていない。今日の贈り物は夏の太陽だけか、と心中やりきれなく店からでた。

おさない子供二人と父親が本をせっせと店内に運んでいる。寄付しているのだ。ガイドブック、推理小説などが大量に読み捨てられ、持ち込まれる。リサイクルの一環となっている。ところが子供がもてなくらいのビッグ・サイズの本があり、父親がはこびだした。

大量の美術書を処分しようとしている。店番の若い人はありがとうと軽く礼を言ったきり。その辺においていってくれという無関心ぶり。一瞥もしない。車に近づくと、読みたいと思っていた美術書がトランクに転がっている。

おずおずと父親に「売ってくれないか」ともちかけたところ、たった三言が返ってきた。

      Take them, please.

あまりにもあっけない返答に呆然しばし。ハッとして、「かわいいお坊ちゃんですね」とオベンチャラを言い、感謝を伝えようと思ったが、ここは一瞬も早く立ち去る方がいい、と判断し、「ありがとう」と一言いい残し、腕が抜けるくらい重い本をかかえこみ、自宅へ転がりこんだ。
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グラスを片手に、『バロック』『ロマネスク』集の美しい図版に見いってしまい、気がつくと外はすで暗くなっている。人ごみ、値上げ、収穫なしという散々な一日は、落日とともに有終の美でとじたのであった。人生、こんな日もあるのだ、と感謝しつつ。サンタさん、ありがとう!(N)
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by oxford-N | 2008-07-27 18:40 | 古本
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シティ・センターにあるオックスフォード・キャッスルが昨年再建され、週末には多くの人を集めている。再建といえば少し語弊があろうか。というのもここは1996年まで刑務所だった。城から刑務所に変わったのは1878年だから、およそ1世紀以上、「おつとめ」を果たしてくれたわけだ。

こちらは何でも郵便局に限らず、女王陛下の名前がつく。刑務所も例外ではない。でもなんとなく、「女王陛下の刑務所」というのはもうひとつなじめない気がする。しかも、この刑務所がホテルに変貌したのだから、さらに驚かされる。

大手マルメゾン・ホテル・チェーンが経営にあたっている。名づけて、「オックスフォード・プリズン・ホテル」。そのまますぎて言葉もないが、日本でたとえば、巣鴨の名前をとって、拘置所そのままのスタイルで、「スガモ・プリズン・ホテル」としたら、客はあつまるだろうか。
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刑務所をホテルに改造したのはさすがにイギリスでも初めてである。こだわるようだが、「シングル・ルーム」を予約するのには、「独房一部屋」というのだろうか。刑務所と考えるからいけないのだろう。でも何も手を加えようとはしていない。そのままである。あの刑務所特有の小さな窓を見て欲しい。
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再開発は手本にするような出来栄えである。劇場をしつらえ、夜の上演のため、練習に余念がない。近隣の建物との共存もみごとなものだ。古いビール醸造工場も何の違和感もなく建ち並んでいる。

この城は1078年に開城した。1000年近い歴史を誇っているわけだ。その城を出たところに、つまり城のもっとも近くに、古書店「ブック・ラヴァ」は店を構えている。店構えに特徴がないと言えばいえるが、無機質な店頭は期待できそうだ。
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でもショウウインドウをみて、その期待は裏切られた。バットマンをはじめコミックが隙間なく並べられている。ここまで来て、「秋葉系か…」と失望した。でも気を取り直し店内に入るとそうでもない。店半分はふつうの品揃えである。

入ったところにあった本をとって値段を確かめてみた。ほぼ売り値が一定している本があるものだ。その本を基準にここはどの程度の付け値を試みているかがわかる。アックロイドの『ディケンズ伝』は相場で4ポンド前後。ここは10ポンドもつけている。悪い予感がまた走った。

店内を回っても悪い印象を払しょくできない。伝記の棚へ足を進めると、サミュエル・ベケットのインタヴュー集がある。読みたかった本だ。新刊扱いのためか高くない。白水社から出ているベケット伝と同じ作者か。ベケットと20年来の友人とある。これは期待できそうだ。

本をレジに持っていくと、「日本でベケットは人気があるのか?」と質問してきた。
「いや、そうじゃなくて、お腹がすいていたからこの本にした」
「????・・・・・・・・・・?????」
「ベケットじゃなくて、空腹だからバゲットを食べたいのさ」と、パンに引っかけたシャレを説明したところ、床にころげんばかりに笑い転げている。そんなに笑うのなら、こちらが「笑」のお代を欲しいくらいだ。

好評に気をよくしてもう一問。
「じゃ、1週間のうちでもっとも強い曜日は?」
と、中学生級の問題を出してみた。でもまた、
「???……???」
まだキョトンとしている。仕方がないので、
「日曜日以外はウィークディっていうじゃない」
と’week’ を ‘weak’にひっかけたシャレを説明したら、またころげんばかりに笑い転げている。

城下町の古書店には笑いまくるコミック店主がいた。内心、この店は大丈夫だろうかと思いながら、店を後にした。[つづく] (N)
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by oxford-N | 2008-07-26 01:05 | 古本
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ボドリアン・ライブりィの閲覧室で記事を探していたら、『ブリティッシュ・アカデミィ会報』が並んでいるのが目に入った。何気なくその一冊をとりあげ開いてみると、森嶋通夫先生の遺影が出てきた。
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経済学者として著名だが、岩波新書の『日本とイギリス』の著者としての方がよく知られているのではないだろうか。先生が文化勲章を受章されたとき、お祝いの会で初めてお目にかかった。

父が小学校時代同級生であったため、代理で出席したのである。当時の担任、校長先生も列席されてにぎやかな会であった。

担任の先生が、「君はもうひとつ印象に残ってないが、夏休みの日記帳のヨットが水平線から帆を膨らませて走ってくる描写はよく覚えているよ」と思い出を語ると、森嶋先生は恥ずかしそうに下を向き笑っておられた。

食事が始まり、おしぼりが各人に配られた。おしぼりが珍しかったのか他の人が使うのをじっとみつめられていた。ところが拭きおわるや、そのおしぼりを中央においてあった籠を目がけて投げつけたのである。その動作に海外が長いのだなぁと妙に〈寒心/感心〉してしまった。

先生も少し酔われたのか、赤い顔でお子様の話をなされた。「お子様はご家庭では日本語と英語どちらを使われているのですか」と質問したところ、「できるだけ日本語を使うように言っているのですが、学校へ行く時、『いただきます』なんて挨拶するものだから、困っていますよ」、と顔をほころばされた。

誰かが勲章授賞式の様子を尋ねったとき、だされた料理から説明を始め、笑い話をひとつ交えられた。森嶋先生が式の最中に後ずさりをしたとき、同じく出席していた総理大臣の足を踏んづけてしまった。今の総理の父上である。とっさに英語で、「ソーリー」と謝ったら、踏まれた主は「ハイ、私、総理の福田です」と応えたという。座が笑いに包まれたのは言うまでもない。

『会報』は先生の輝かしい経歴を紹介している。京都大学、大阪大学で講じ、日本の大学特有の「わずらわしさ」がいやになり、エセックス大学へ移籍したとある。ロンドン大とオックフォード大を兼任されていた。

京都大学経済学部の卒論審査の模様を先の会で話された。3人で審査をして評点を下すシステムであるという。ひとりの老教授がいつも超然としているので、「どのように評点をだされるのですか?」と質問したところ、黙して語らず。だが、いつも老教授は3人の中央に腰を降ろすことに気づいた。

まずこの位置が疑問であった。その後も観察を続けていると、よく左右を見まわしている。そして何気なく隣の点数をのぞきこんでいる。老教授は審査にも評点を下すことにも関心がないのである。

つまり老教授は左右をみて、その平均点を自分の評点にしていたのであった。左右が80点、60点とすると、老教授は70点をつけるわけである。森嶋先生は老教授の「教育的配慮」にいたく感動した、という。
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「ロンドン大にいますから、いい図書館があるのでいつでも来なさい」とご親切にも誘ってくださった。でもなぜか敷居が高く、ついに一度も訪ねなかった。先生の遺影をみていると、「一度は行っておくべきだった…」、と後悔が胸をよぎったとき、閉館10分前を知らせる合図が閲覧室に鳴り響いた。(N)
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by oxford-N | 2008-07-25 05:18 | 古本
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オックスフォード大学出版局が取り組んだ最大の出版物は、『オックスフォード英語辞典』であろう。最近の版で20巻、22,000ページ、2500万におよぶ引用・文例がぎっしり詰まっている。英語は他の言語をとりいれ、増殖を今もしつづけているので、今後も辞書じたいは伸展していくにちがいない。

ところが、この浩瀚な辞書がたった1枚のCD-ROMにおさまってしまい、古書価は一気に値崩れを起こした。驚くほどの廉価で売られている。神保町でもお荷物扱いだ。店頭にうずたかく積まれ、邪魔物として虐げられている姿をみると、複雑な感慨に襲われてしまう。

データー化がこのような事態を招くということは重々わかってはいるのだが、どうしても割り切れない。辞書作成にかかわった人々の営みを知れば知るほど、この気持ちは強くなる。古書は安いに限るといつも言っている人間が矛盾したことを言うようだが…。

この辞書は1928年に完結するが、最後の巻をみて分かるように、分冊で出ていたのであった。辞書ができあがるまでのドキュメントはすでにいくつかの伝記、物語で紹介され、いずれも好評である。言葉にたいする根源的な問いかけは、つねに人々の胸をうつものがあるからであろう。

編纂者ジェイムズ・マレイはあらゆる艱難をのりこえて、この辞書を完成させた。むろん、独力ではなかったが、彼が求心力となり、幾世代にもわたる挫折をこえて、完成にこぎつけたのであった。この難事業に取り組んだ姿勢は人間の可能性をかぎりなく追求したものともいえよう。

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マレイが30年間、住んでいた邸宅がわが家から歩いて5分ほどのところにある。彼を顕彰したプレイトがはめ込まれている。横に立っているポストはマレイが原稿を送るのに便利なようにと配慮して、地元の郵便局が設置したものである。

現在もふつうに使用されている。日本の同僚にこのポストから手紙を出してみたりした。友人は言語学を専攻しているので、何かご利益があると思ったからだ。

面白い逸話がここには残っている。その一つを紹介しよう。電話を発明したグラハム・ベルとマレイは友人である。マレイがベルに音響学を教えたことから、ベルは感謝をこめて電話の第1号機をマレイに贈呈した。ところが、ベークライトと木のかたまりのような電話機をマレイはさほど気にいらず、屋根裏部屋にしまいこんでしまった。

ニュージャージーにあるAT&T博物館は、どうしても社の出発を記念する第1号機を入手したく、くまなく探索の手を尽くした。それでもみつからない。それもそのはずである。じつは第2次世界大戦中、マレイなき家には多くの兵隊が駐屯していて、ある極寒の日、暖をとるために屋根裏部屋から廃材を集め、暖炉の火にしてしまったというのである。栄えある電話第1号機は煙と化したのであった。

マレイはこの屋敷を「サニーサイド」と名づけて慈しんだ。陽がよくあたるから単純にこのように命名したのだが、ここから逆に光が発しているような気がする。図書館へ行く時、この前を通ることがあるが、いつもあたたかいものを感じる。言葉にこだわりつづけた老人がやさしく微笑んでいるようだ。(N)
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by oxford-N | 2008-07-23 06:13
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近所のパブを詳しく書いて、自宅からほぼ同じ距離にあるオックスフォード大学出版局のことを無視しては申し訳ないので、いそいで報告しよう。日本でも辞書、学習参考書、教材でおなじみの出版局であるが、出版文化史の上からみても興味深い示唆を与えてくれるだろう。

何人かの放浪してきた学者がここオックスフォードに集まりはじめたのはかなり古くからではあったが、最初にオックスフォード大学出版局から本が出版されたのは、1478年のことであった。この書影は1978年に出版500周年を記念して出された、その歩みをしるす図録である。

イルカをあしらったエンブレムは出版局が順風に進んできたようにみえるが、その形を整えたのは、およそ17世紀のころであった。いろいろな人物が志をかかげて、出版の理想を実現しようとしたが、現実の壁に頓挫せざるをえなかった。

大学出版局の基盤をきづいたのはクライストチャーチのジョン・フェルであった。1636年のことである。軌道に乗るのはやはり18世紀までまたねばならなかったが、それでも今日の学術出版と聖書刊行の原型は彼の手によってつくられたのである。

大学行政に手腕をふるったフェルは出版に大学の理念を求めた。学内で使用されていない建造物を印刷局に変え、ロンドンの出版社とも提携をして、いよいよ本格的に出版にのり出そうとしたのだが、使用にたえる活字がみつからない。

当時、ヨーロッパで最高の活字を鋳造できたのはオランダであった。遠路、オランダまで活字を求めたのはいうまでもない。最上の活字は入手できなかったものの、欲しかったフォントはとにかく得られたのであった。

それでも妥協を知らないフェルは再度、人をオランダに向かわせ、4種類のフォントを入手した。そのうちの3種類が今日でも出版局に保管されている。図版2はその一部である。

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図版3は組版であるが、右端の細長い棒状のものに注意してほしい。これは職人が使ったロウソクである。冬は昼の3時ころから暗くなるような土地柄であるので、ロウソクは欠かせない。

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ただロウソクがともしたのは職人の手元だけではない。この灯はゆらぎながらもほぼ500年の歳月をえて、消えることなく、〈人間の知〉を確実に伝えてきたのである。そのように考えると、このか細いロウソクは、この出版局に集った出版人の理想を結集した「ともしび」でもある。(N)
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by oxford-N | 2008-07-22 05:29 | 古本
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前回、「食」の比較に及び、こちらのラーメン店を貶してしまった。日本の行列のできるような店が頭にあるものだから、つい比べてしてしまったのだ。では当地で一大チェーンを展開している意味はどう考えたらいいのか、ということになってしまう。

大げさにいえば英国民は味音痴で、日本人は細やかな味を理解できる繊細な国民になり、味の「国粋主義」ができあがってしまう。昔からの図式ができあがり、何も解決しない。これは避けなくてはいけない。そもそも味覚は相対的なものなのだから、である。

「グレービーソース」と「かつお出汁」を比較しても無意味なのと同じである。イギリスの人たちに合うからこそ全国規模で発展しているのだから、何も文句を言う筋合いではない。「パン」と「ごはん」のどちらが美味しいかと論じてもはじまらないのと同じこと。

以上、自己反省して、近所のパブ「ラディ」を紹介しよう。前回からとりあげている「物価」を考える点でいい材料を提供してくれるだろう。「ラディ」が登場するのは2回目である。店の全景は第37回の「オックスフォード便り」でアップされているから参照してほしい。(扉メニューは第38回に登場)。

そもそも「物価」を考えるとき、ものの単価だけで評価するのはあり得ないと思う。たしかに「物」の味と単価だけで、通いつめるような店もある。朝の出勤前に飛び込む新宿駅の立ち食いそば屋を考えてもらえばいい。

でも瞬時にそばをのどに流しこむようなこのような忙しい店でも、店の人との交流がないかと言えば、希薄であるとはいえ、なくはない。味は出てくる料理だけで決まるわけではない、と言いたい。

むしろ料理よりも料理をつつみ囲んでいる「雰囲気」が大切である。味覚エッセイの名品を読めば、その間の事情がのみこめてくる。食べものよりも「食べものにまつわる」ことが主になっている。たとえば机の上に活けてあった花に心遣いをみて安らぐという具合に。

ほとんど食べものは登場しないような時すらある。その料理が美味であるなんて一字も書いていないような時も大いにある。それでもそこの料理だけが光っている。客と店との交流をその「料理」が象徴しているからである。

その点このラディは申し分ない。じつに細やかな味とつかずはなれずの接客がみごとにかみ合っている。山口瞳流にいえば、「気働き」が行きとどいている、といえばいいだろうか。
居心地いい一因である。居酒屋の「居」は居心地のいいことだといった誰かの名言を思いだす。

あとは酒と肴だが、これがなくてはそろわない。サンドウィッチ、オムレツ、バーガー、ジャックポテト、ピザ、サラダ、パスタ、パイなどそれぞれ特色がある。

名物はジャンボ・ヨークシャープディングだが、今日はソーセージが切れているということで、「ハドックと青豆、チップスの付け合わせ」を注文。これで4.95ポンド。「バーベキュー・チキンにサラダとチーズ」5.95ポンド。「サーモン・ステーキ」8.95ポンド。「サーロイン・ステーキ」8.95ポンド。「湯でエビ」4.95ポンド。「自家製ソーセージ」4.50ポンド。

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こんがりとして匂いが鼻をまずくすぐる。ゆでたての青豆は湯気をたてて、青味をいっそう増す。チップスは自家製で、油切れもいい。魚にナイフを入れてみると、サクッという音が揚げ方の秀逸さを示す。一口ほおばると、海が広がり、冷たいビールが大海原にいざなう。至福の瞬間。皿が雄弁になりだし、グラスがリズムを奏でる。

どうです、「ラディ」へ来てみませんか?ビールが冷えていますよ。「物価」のことはすっかり忘れてしまった。(N)
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by oxford-N | 2008-07-20 06:21 | オックスフォード
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古書の値段を10ポンドだの30ポンドだのとよく書いているが、日本に居るものからすればもうひとつ実感がわかないから、「物価」について説明してほしいというメイルを何人かの人から頂いた。隔靴掻痒を解消せよ、というわけだ。

英語と日本語が厳密な相対関係にないように、「ポンド」と「円」の関係も実勢の換算率をかければ片づくものではないので、実例をあげて説明したい。日本経済を反映して、わが「円」はすこぶる弱い。山一証券の社長の泣き顔が世界を駆け巡って以来、「円」は泣きつづけている。

かつてロンドンには6,500人の日本人がいた。今は2000人台であるという。小、中学校を見ても日本人かと思えば、中国人ばかり。パリのシャンゼリゼ通りで豪勢にシャンパンを開け、牡蠣に舌鼓を打っている日本人がいると思い、聞こえてくる声に耳を傾ければ、中国人だったというような話しに事欠かない。

ここオックスフォードには日本人観光客はまず寄りつかない。コッツウォルドか湖水地方へ行ってしまう。オックスフォードで日本人観光客かと思えばほとんどは中国人観光客である。東京オリンピックのときの日本といっしょの光景がくりかえされている。

現在、1ポンドが215円前後で交換されているが、1年ほど前は250円以上であった。かつて、といっても10年ほど前だが、160円台を推移していたことを思うと今昔の感をぬぐえない。ポンドがドルに接近していった「よき時代」であった。

つい、「昔はよかった」と繰り言をもらしてしまう。銀行で日本円の交換は400ポンドまでというような制限すらあった。交換すればするほど「もうかった」。思えば強い「円」の時代があったのだ(過去形で語らなければならないところがこれまた辛い)。

さて愚痴はこれくらいにして、こちらのまず「食」事情を紹介しよう。明治の物価と平成の物価を比較するときによくつかわれる単位は「そば」の値段などが引き合いにだされる。「食」が日常性という具体的な意味をおびているからであろう。

「パン」はさすがに主食だけあって、安くておいしい。種類も豊富。野菜類はこちらの方が安い。肉類も圧倒的に安い。牛肉は日本人の好みとちがい、「霜降り」は敬遠され、限りなく赤身が好まれる。

マグロもそうである。魚の種類も豊富で、新鮮な「いか」がおいしい。でも「たこ」はまだ少数派か。ムール貝が人気である。1キロで2・5ポンドくらい。オランダの養殖物が多いのが安値の原因だろう。こちらでも「かに」は絶品。おおぶりの「伊勢海老」は2匹で10ポンドが相場。これも泣ける。

日本の「食」は何でもそろっている。インスタントラーメンも驚くほどのラインアップで、コンビニと何ら大差がない。値段は安いくらいである。「すき焼き」をつくろうとしてもすべて調達できる。「割りした」はどこのメーカーでなくてはいけない、というようなこだわりさえつけなければ、「糸こんにゃく」から「焼き豆腐」までそろう。うどん、そばの麺類も事欠かない。「そうめん」などはこちらの方が安くておいしいくらいだ。5束で75ペンス。

先日、日本人仲間が集まったとき、「納豆製造」について蘊蓄が飛び交った。まるで密造酒をつくるような熱の入れようだった。納豆菌は雑菌より強いか云々というような議論を口角泡を飛ばしてやっていることを思えば、強いてあげればないのは「納豆」くらいか。その「納豆」もロンドンまで出れば買えるという。

健康ブームを反映してか、日本食に人気がある。ついに回転寿司がオックスフォードにも上陸した。ただ日本のような「こだわり」をもとめてはいけない。寿司に似せようと努力している、「お寿司もどき」と思えば腹もたたないが、それにしては高すぎる。築地の一流店へ行くくらいの値段を覚悟しなくてはいけない。

回転寿司より以前から、ラーメンチェーンの「わがまま」もここで店を開いている。味は日本で開店したら間違いなく3日でつぶれるような味である。麺が伸びているとかそんな次元ではない。マクドナルドやケンタッキーフライドチキンは日本とほとんど変わらない価格だが、ポテトの量が多いというような付加価値があるのが「お得」か。

お腹がすいてきたので、イギリスの食についてはまた次回にご紹介しよう。ではごちそうさまでした。(N)
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by oxford-N | 2008-07-19 17:48