古本とビールの日々


by oxford-N

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『タイムズ・リテラィ・サップルメント』の最近号は、来月の28日に100歳の誕生日を迎えるクロード・レヴィ‐ストロースのプレイアード叢書を書評している。

聖書や辞書に使う、薄いインディアンペーパーに2000ページ以上が印刷されて、70ユーロで売りに出されたこの本が3ヶ月で13000部も売れたことにまず驚かされる。

書評は、収録されている「作品」をめぐってまず展開していくが、「悲しき熱帯」がどのようにして書かれたか、初めていろいろな事実が明かされていく。

サンパウロで雇ったドイツ人のタイピストに口述筆記させたのだが、パラグラフの変更も改行もないただ文章の大きな塊で、いわばコラージュのようなものであったという。

レヴィ‐ストロースが世界的に著名になったのは「野生の思考」以後であるが、この著述の英訳をめぐって、英語表現と彼自身の表現がすさまじい葛藤を繰り返すようになる。

英訳者側に言わせると意味不明に尽きる。著者は意味をくみ取ってくれないと、両者は平行線のままである。タイトル自体からすでに幾重にも意味がもたされている。

詩の世界を遊泳することが好きな英国民もさすがにこのワードプレイには閉口したらしく、上梓されたSavage Mindは、きわめて不満足なものであった。

その点、日本語訳の「野生の思考」は、今は亡き大橋先生の達意の翻訳で最大限の理解可能な表現をえて、われわれ読者は恵まれている。

構造主義も哲学的な人類学的思考もすでに廃れてしまって久しいが、またエピゴーネンたちも死に絶えてしまったが(私もその一人であるが)、レヴィ‐ストロース自身は残っている。

書評は、数々の概念を知の領域に横断的にまき散らしたフロイトと比較して、その長い書評を閉じている。

「その主張には多々問題があったが、著作全体を見渡してみるとき、それはまぎれもなく20世紀思想史に忘れがたい印象を刻んでいる」
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by oxford-N | 2008-10-31 07:11
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夜、会合があるので外に出ると、空から白いものが…。ついに雪が降ってきた。今夜の気温はマイナス2度まで下がるそうだ。

クリスマス商戦も始まり、プレゼントがフロアーにあふれかえっている。価格別に陳列してあり、3品で2品分の値段。サンタさんも大変だ。

肉屋には冬を告げるゲーム類が陳列されている。クリスマス前になると、ターキーがこの壁一面をおおいつくし、壮観なにぎわいを醸し出す。

オックスフォードの冬歳時記だが、築地や京都の市場もそろそろ冬支度だろうか。秋はまたたく間に過ぎ去っていた。
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by oxford-N | 2008-10-29 17:39
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ロジャー・フライの美術評論集である。1926年の刊行だからほぼ80年以上前の本だ。批評が新鮮味をもたなくなるのは、いろいろな条件が重なるが、この本の賞味期限はどうであろうか。

フライはセザンヌをはじめとして、イギリスに前衛絵画、つまりピカソなどの抽象絵画をはじめて紹介した人として知られている。柔軟な感性の人である。
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この美術論集にも、中国古代美術、ロンドンの彫刻家、挿絵論、ゴッホ、スラー、色彩論、芸術と国家、美意識、文化とスノビズムなどが幅広く縦横に論じられている。

タイトルのTransformationsというのは、「自序」によれば、対象が自己のなかを通り過ぎていき、美意識を形成するその過程を意味する。日本語でいえば、「変容」とでもいえばいいのだろうか。

つまり自己の感性を中心に、美術作品と向き合ったときの美意識を語ることになる。いたずらに専門に堕さず、自己の感性に忠実にあろうとした結果、批評の対象も多岐にわたった。
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「文化とスノビズム」をみれば、クロード・フリップスの『美術作品における感情』(1925)という評論集を書評しているのだが、フリップスは、自分の目で見ないで社会的な規範で芸術作品の優劣を論じていると、フライは論難している。

論の正否はともかく、激しい攻撃を含む批評は、大砲で微小な目標を狙っているような感を覚えるような時でも、批評している本人にとっては越えなくてはならない自己の葛藤である場合が往々にしてある。

自分が否定しようとしている対象をかつて信奉していたような時はなおさらである。批評で相手を攻撃しているのだが、矢が向いているのは自分自身に対してである。

それは自己のヴィジョンをつかむためどうしても必要な過程でもある。そうした批評にあっては、論評されている対象よりも、批評者が前面に現れてくる。

そういう意味で、フライが蝉脱していく過程が分かりじつに興味深い論集になっている。ロンドンの古書展で3ポンド投資した甲斐があったというものである。
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中国、日本の美術品を提供していた「山中商会」というロンドンの美術商のことをご存知の方は、ご教示くださいませんでしょうか?
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by oxford-N | 2008-10-28 19:58 | 古本
フランクフルト・ブックフェアの最後を飾るのは広重の「江戸名所百景」である。有名すぎるくらいの作品だが、大きく拡大してみるとその妙味が際だって引き立つので、面白い。
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浮世絵が外国に行き再評価され、またこのような形で提示されると、こんな恵まれた、美しい国に住んでいたのかと、思わず自国を見直したくなってしまう。

まず造本がすばらしい。和本仕立てになっていて、浮世絵とよくマッチする。難点は大きすぎることである。和紙もどきの用紙を使用しているので、本を立てると途中で腰砕けになってしまう。
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その欠点を十分に補えるのが、美しい日本の風景である。広重がこの版画を作成したころには既に、このような風景は大部分失われていた。

ここにあるのは美化され、理想化された風景だが、広重はそれを追想するのではなく、再構成しようとしている。

「深川 万年橋」であるが、広重の技法がいかんなく示されている。橋の上に、桶が置かれ、その取手にひもで亀がつながれて売られている。ただそれだけの図である。

ところが対角線を引いてみると、驚くべき意図が浮き上がってくる。富士山と桶を線で結んでみよう。
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富士は「聖」なる信仰の山である。それに対して万年橋の周辺で繰り広げられているのは「商売」というきわめて日常的な光景である。つまりここに<聖>と<俗>の対比がある。

絵画のなかでシンボルとモチーフの対比をこれほど鮮やかに描いている例は少ない。モチーフはいうまでもなく、商いという日常性である。

<明>と<暗>のコントラストもにくい。橋の柱と亀が入っていた桶の色の対比がそれである。

ナンバー・シンボリズム(数字の象徴化)を巧みに使っている。亀と橋が重層化されて示される。「万年」橋と、『亀は「万年」』ということわざをかけている。ここにさらなる意味が生じてくる。

人間のはかない寿命を考えれば、カメのような長寿にあやかりたい。この売られている亀を買い取り、橋のふもとを流れる川に逃がしてやる。するとその徳深い人に、殺生を禁じる仏のご加護がほどこされ、長寿に結びつくというわけだ。

ここで富士山がすべてを見下ろしている構図も意味が分かってくる。聖なる山からもたらされるご加護である。<聖>と<俗>の対比が解消され、一気に<聖>なる世界が、ここ万年橋のうえに広がっていくのである。つまり、すべてが「めでたく」なるわけだ。

広重は奥深く、面白い。Hiroshige is fantastic!
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by oxford-N | 2008-10-25 05:58 | 絵画
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フランクフルト・ブックフェアの最終日は、うれしい投げ売りがあった。荷物が55キロにも膨れ上がってしまったのは、このバーゲンの賜物です。

展示してあった書籍をバーゲン・プライスで提供する。全点ではないが、かなりのブースでバーゲンが始まった。

新刊書では、どうしても欲しいものがあったので、飛んでいくと、残り3点しかない。急いで買ったのが、ロバート・ソーントンの『フローラの神殿』。安かった。
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もちろん現物は買えないから、リプリント版で我慢。オリジナルを忠実に復刻したもので、じつ精確に再現されている。

とにかく大きい!横60センチ縦80センチは十分にある。とも袋に図版が入っていて、別冊で解説冊子がついている。

ソーントンは医学生だったころ、たまたま植物学の講義を聞き、感動を覚えてしまう。ここで終わっていたら、いい趣味ですむところだが、忘れた頃に薬草学の講義を担当する羽目になる。「植物愛」が再燃してしまうわけだ。

悪いことは重なるもので(本来は何も「悪いこと」ではないのだが)、遺産が入り財産を自由にできる境遇をえる。湯水にように財産を使ってしまうソーントンを止めことができる者はだれもいない。

彼の野望はただひとつ、史上、最高の植物図譜を制作することであった。画家、彫り師、印刷技師すべて最高の人材を集めて開始した。何年もの歳月が流れた。

しかし歳月の重みは膨大な費用となって、ソーントンを蝕んでいった。
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1811年、借金を一度に清算すべく、国王が主宰する宝くじにかけてみることにした。一等賞に植物図譜の原画を、二等賞でも図版とテキストを賞品に提供し、胴元になった。

ソーントンは、宝くじ1枚2ギニーで、二〇〇〇〇枚のくじを発行した。だが、すべて裏目に出てしまい、さらに借金がかさみ、破滅へと。生涯では払いきれず、ふたりの子供も借財を背負わされたという(その苦労を思うと55キロくらいなんだ!)。

28葉の植物画はすべて擬人化されていて、寓意が込められている。だから本来の植物画ではない。それは植物のイメージを借りて、ソーントンの思想を盛り込もうとしたものであった。
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たとえば、この「恵みを大地にまく女神フローラ」。風の衣をまとい、水辺からあがってきたのか、その恵みを大地に撒き落としていく。手前から、ずっと丘にそって花が咲き乱れている。

中央の山奥深く、廃墟が見える。これぞピクチャレスクというわけである。全能の神、国王、自然を礼賛してやまない。(でも、重かった…)
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by oxford-N | 2008-10-24 17:07 | 古本
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最初の写真は飛行機の窓から、カメラをもって腕を出し、飛でいる飛行機とフランクフルトの街を撮ったもの。そんなことできるわけがないです!(たまたま機影が飛び込んできただけです)

さすがにフランクフルト空港に着いたときは、疲労困憊。怒涛の2日間は、充実していたとはいえ、体力的に限界であった。

しかも手荷物として戦利品を55キロも、担いできたのだから…。あまりの荷物の多さに、スチュアーデスからサンタクロースでもあるまいし、とあきれられてしまった。
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イギリスに帰国するに際して、さいごに元気をつけようと、名物のソーセージを食することにした。やはりうまい!

レストランの店名がゲーテ。恐れ多いが、イタリア旅行をしたこの大文豪にあやかれるかと思うと、何やら華やいできた。
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手元のメニューを見ると、なんと寿司が。ゲーテと寿司の取り合わせは、ゲーテ好きな日本人にとっては好ましいことかもしれないが、変な感じがする。
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でも、寿司がサンドイッチよりも売れるときがあると聞くと悪い気はしない。ゲーテが寿司を頬張っている図を想像したら愉快だ。けっこう似合うようだから。
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by oxford-N | 2008-10-23 22:11 | 古本
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最終日まで市内観光にお連れしましょう。最初はヨーロッパの鉄道がすべて終結するというフランクフルト駅。先の戦争で空爆も受けず、重厚な感じをそのまま漂わせている。

駅前にあるポスター。独特のパロディセンスが光っている。堂々とした駅との対比が面白い。色彩も鮮やかだ。
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中世のヨーロッパの街にある広場。観光客が目指す中心地になっていて、一日中にぎわっている。
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このような幾何学模様の家の住み心地はどうなのだろうか?生活するにはもっと崩れている方がいいでしょう。
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新旧のコンビネイションがゆとりとともに感じられるいい街です。
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by oxford-N | 2008-10-23 20:53 | 古本
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今回の本のなかで、一番のお気に入りは、この動く本だ。連続写真を撮ったマイブリッジも腰を抜かす出来栄えだ。

『ニューヨーク・タイムズ』の書評でも大絶賛であった。
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「駈け足」というタイトルで、馬、ニワトリ、犬、猫、ワシ、サル、チョウ、カメと続き、最後に星でおわる。

それぞれがそれぞれの動きに応じて、様々な表情をかもしだす。亀が駈け足とは変に思うが、泳いでいるところをとらえている。
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また、見る方向からも表情が変化する。自分でいろいろな「みたて」をするのは楽しいものだ。

このブログのなかで、動きだしてくれないものだろうか。
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by oxford-N | 2008-10-23 05:20 | 古本
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新刊書は新しい息吹にもえ、表紙から熱気がほとばしり出ているようだ。ドイツが誇る大文豪ゲーテから曲芸師まで、魅力たっぷりのライナップである。
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そのなかでわが日本はどのように表象されているのか、気になって注意してみた。相変らず、映画の影響もあってのことだろう、「芸者」ものが好評のようだ。

日本人でも知らない芸者が歌う「小唄集」まで出版されているのには驚いた。思わず、「芸が細かい」と、うなってしまう。

今も舞妓や芸者はいるにはいるが、普段はジーパン姿で、何の変哲もない普通の女性である。でも夢の世界に仕立てあげられると、変貌するのだろう。
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イギリスの人に聞いてみても、ぜひ一度は「お座敷」で芸者と同席してみたいという。夢は微動だにしない。

かつては、富士山、桜、芸者が代表的なイメージであったが、今はマンガがそこへ入り、寿司とともに市民権をえたようだ。
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次に続くのはどのようなイメージであろうか?楽しみだ。
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by oxford-N | 2008-10-23 02:06 | 古本

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新刊コーナーに移りましょう。小説などのジャンルに比べ、人の波がコミックコーナーでは違います。波にのまれてしまいました。

作家が登場し、自分の原画にサインを添える。本のサイン会と同じくらい人気があります。似顔絵などを即興で描いてくれるのですごい人気です。
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でも、マンガが読書界を席巻している様を見て、嘆いてみたり、果ては文化の堕落と悲観するような人たちも間違っています。

世界的に波及した、この漫画現象は、「読む」という行為を歴史的にみれば、当然の帰結であり、通過点なのですから。
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次の一文は、誰でもが好きなものを読書できる時代、つまり20世紀初頭、が到来したときにある知識人が漏らした言葉です。

「今日、われわれの料理人はパイの中身をまったく噛む必要のないものばかりにしてくれたため、人類の歯もいずれは、ちょうど鯨の胎児に今でも見られるような退化した器官になってしまうことだろう」

「料理人」が出版社であり、「パイ」が本であるのはいうまでもありません。でもこの嘆きの裏にどのような現状が広がっていたかを知れば、この知識人の一方的な意見が孤立してしまいます。

そもそも、読書のよろこび、読書習慣なるものは、麻薬とまでは言いませんが、「一種の睡眠効果をともなう行為」なのです。

たとえば、小説の中で貴族やレディがしでかす、あるまじき所業や、現実に行われた人間の悪しき犯罪に関する話を、みんなが目もつぶれんばかりに読みふけてしまいます。

少年たちは、冒険小説によみふけます。大人たちも、危機一髪のところでの命拾い、命知らずの悪行、人間業とは思えない武勇伝がぎっしりつまった読み物を、生まれてからこの方、本の総重量にして、何トンになるくらい読み漁ったことでしょうか。

台所で料理をしながら、女性雑誌に夢中になったばかりに、焼いていた肉を焦がしてしまった女性の多いこと。

サラリーマンが、ある日曜日の朝、自宅の戸口の上がり段に腰を下ろし、煙草をくゆらせながら、週刊誌に熱中し、この一週間の出来事の数々に目を通す。

以上にあげた様々な読書をする様子は、先ほどの読書習慣の延長なのです、マンガを読むことも。テレビ、映画の映像文化に活字がついていっていないだけの話です。
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では、活字文化はなえてしまうのか、という疑問には、これだけは言えます。活字はもっとも古い媒体だけに腰だけは強い、と。

それにしても人ごみで前に進みそうもない。
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by oxford-N | 2008-10-22 20:50 | 古本