古本とビールの日々


by oxford-N

<   2009年 02月 ( 22 )   > この月の画像一覧

b0157593_21494410.jpg

どうやら気づかないうちに春がやってきたようだ。東京は今年初めての雪が降ったという。
どうなっているのだろう。

花屋の店先が季節にもっとも敏感なようだ。名前などどうでもよくなるくらい咲き誇っている。
b0157593_21502150.jpg

果物や野菜は季節感がなくなったとはいえ、値段に反映するのか、これ全部で6ポンド、日本円で840円くらいか。1週間の食料なり。

愛くるしいパプリカを見ていたら切るのがかわいそうになってしいまう。
b0157593_21511040.jpg

オックスフォードへ来てもどうやら花より団子らしい。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-27 21:51 | 日々の情景
図書館でぼんやり本を眺めていたら、「丸善」の文字が目に飛び込んできた。何だろうと思って目をこらすと、福沢と丸善のことが書いてある。

これはおもしろそうだと思いざっと目を通してみたら、知らないことが多く書かれていた。
丸善は最初薬屋として横浜に開店した。1869年1月、横浜弁天通りに「丸屋商社」という名称で設立された。

しばらくして「丸屋銀行」も設立し資本金5万円であったが株の配分は丸屋善七100株に対して福沢も同額であった。門下生の奥平37株というようにかなり両者の関係は深い。

1870年、東京に、大阪(71年1月)、京都(72年8月)、名古屋(74年8月)と次々に支店を拡張していった。それまで横浜の個人業者から本を仕入れていたが、1872年サンフランシスコ、1874年ロンドンから直輸入するようになる。

維新後8年目にすでに70タイトルの書目を輸入していた。ミルが16タイトル、スペンサーが9タイトルである。「種の起源」もそのなかにまじっていた。1883年には堂々53ページの目録を出している。

福沢は3度渡英しているが、ロンドンから「本を買うしかない、ロンドンでも多く買ったがオランダでも同じように買うつもりだ」と意欲的に語っている。

岩倉使節団がエジンバラに滞在しているとき、新橋横浜間に鉄道が開通し、日本は40年の遅れを痛感していた。内外で一気に欧化が進んだ時期であった。
b0157593_1401316.jpg

[PR]
by oxford-N | 2009-02-27 01:40 | 古本
b0157593_675159.jpg

新橋・横浜間に鉄道が施設される以前に、長崎ですでに鉄道そのものは走っていた。

イギリス人貿易商トマス・グラヴァーが港と市内を結び、グレート・ウエスターン・レイルウェイの汽車と同じ名称をつけ、貨物車両として運用していたのである。

イギリス側が鉄道建設に着手するまで本当に紆余曲折があった。まず、フランスとの利権争い。将軍側についたフランスの読みが浅かったということか。

ここで上司ハリー・パークスに宮廷側につくように進言したのは若きアーネスト・サトーであった。

驚くことに最初の鉄道施設の提案は薩摩藩から起きた。しかも場所は京都大阪間を、というのである。これは否決されてしまった。

1868年1月17日にアメリカ側から幕府に提案された案は受諾された。江戸・横浜間に施設する案である。だがこれは幕府の崩壊で水泡に。

でもこの提案はくすぶり続け、維新政府にまで持ち込まれた。でも新政府は首を縦にはふらなかった。アメリカ側が全施設権をもつというものであったからである。

新政府は鉄道利権に絡み蹂躙された中国の悲劇を目の当たりにしていたからであった。

居留地と都心を結ぶ構想はずっと続き、大阪・神戸を次に考えていて、それが発展していき、東海道線の実現に至るわけである。

あまりにも長くなった「鉄道夜話」はこれで打ち切るが、汽車というと幼き日に東京から神戸へ帰るときに乗った「つばめ号」をいまだに忘れられない。ゆうに8時間かかった。この列車が永遠に走ったらいいのにと願った。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-26 06:09 | 古本
新橋・横浜間に開通した鉄道は実験ケースであって、居留地と都心を結ぶ外国人専用のような交通でもあった。
b0157593_16565526.jpg

わずか18マイルほどの距離を結んだ路線であったが、1等から3等までの客車が用意された。1等車はほぼ外国人専用の感があり、その証拠に居留地で暮らす外国人向けの「日本語読本」には「お前の車両はここではない」という日本語の用例が記載されている。

日本の命運を決めるこの路線施設にわずか29歳のイギリス人エドマンド・モレルが起用されたことには驚かされる。

このモレルが鉄道の将来を大きく決定してしまったからである。というのもニュージーランドで鉄道施設に従事していたモレルは、日本を同じような島国とみなし、ゲージを3フィート6インチにしてしまった。日本の鉄道稼働率を低く見積もった結果にほかならなかった。

この決定は将来にわたり日本の鉄道が発展する妨げとなった。そのモレルも路線が半分しかできてない時期に、過労のためか肺炎でわずか30歳で客死している。1871年9月(11月という説もある)のことである。

それでもこのモレルを鉄道省は恩人とみなし、横浜桜木町駅に彼の銅像を建て顕彰した。現在でもその像はのこされている。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-24 16:57 | 古本
花の絨毯を違う角度からみてみました。どうぞご堪能ください。
b0157593_1332059.jpg

鉄道について、ちょっと気になったことを調べるうちにだんだんと鮮明な見取り図が欲しくなり、明日の講演の準備をしなくてはいけないのに目が離せない。

走り出した汽車が急には止まれないようなものか。たとえば開通式。すんなりと10月14日に決まったのかと思っていたら、じつは9日に挙行される予定であった。

ところが大雨のため11日に順延になり、それが14日にずれ込んだという。14日は青空が広がる晴天で、英国人は口々にQueen’s Weatherとよろこんだ。

日本の新聞雑誌は天皇の表情を詳しく追うことははばかれたが、外国のメディアは執拗に食い下がっている。

金襴たる装飾をほどこされた御用列車の後部に天皇は腰を下ろす。静かに落ち着いている天皇が右、左と頭を回し外をのぞいた。車外で並んで歓迎の声をあげて見送る人々に対して示した行為であった。

列車進行中は感情を表に出さず冷静そのものであった。ただガーゼのような薄布がその頭上からは風に任せてたなびいていた。

この最初の列車を通す苦労話と、なぜ英国が鉄道施設をという疑問について次回は書きます。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-24 01:33 | 古本
もう春なのか、近くのお宅ではすばらしい花の絨毯ができていた。
b0157593_6104239.jpg

事実関係を整理する意味で、もう少し明治鉄道開通模様を探ってみよう。

1872年7月、単線で新橋=横浜間に客車が走った。貨物は1873年9月15日のこと。開通式は1872年10月12日に挙行された。

明治天皇を乗せた汽車は機関士トマス・ハートが操縦したが、横浜到着を遅れてはならじと速度をあげたため、駅に早くつきすぎ、天皇を迎える準備がまだ整っていなかったという笑い話が残っている。

でも今となっては笑い話どころか文化の差を語る逸話として、新橋駅にのこされた多くの履物の一件がある。

日本人乗客は列車の乗るのも家にあがるのと同じ感覚でいるものだから、履物を脱ぎ、乗車する。その結果、多くの履物が駅に脱ぎ散らかされたままであった。

横浜に着いてから何を履いたのだろうか? 少なくとも駅舎は素足で往来したのであろうか。

明治の鉄道はすべてイギリスの丸抱えであった。機関士から保線夫長、集札係に至るまですべてイギリス人であった。

日本人が最初から参加したのは機関助手のみであった。日本人機関士が登場するのは1879年4月まで待たなくてはいけなかった。

「直線ならまだしもカーブをどのようにして曲がるか、日本人にはとうていできないだろう」という語り草まである。

1875-76年、鉄道関係者で外国人雇用者はイギリス人94名、アメリカ人2名、ドイツ人2名、オランダ人2名であった。

技術面から敷石職人まですべてイギリス人で、監督官ウィリアム・カーギルは明治お雇い外人の最高月額2000ポンドをもらっていた。

ではどうしてここまでイギリス一辺倒に傾いてしまったのであろうか? またその功罪はどのようなものがあったのか、次に検討してみよう。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-23 06:12 | 古本
日本の鉄道は東京―横浜間が開通したが、それ以前にも、というよりもペリー提督が浦和に現れる1853年以前から鉄道なる存在は一部の人には知られていた。

1841年のアヘン戦争を契機に徳川幕府は西洋諸国がどれほど技術力を備えているか痛いほど分かっていた。

1846年の文章にはフランスがパナマに鉄道を施設する計画があることに言及している。

そして1851年、中浜万次郎が鉄道旅行を体験し、「この蒸気機関は1日に300里走ることができる」とある。1200キロの距離を走れることを知っていたわけである。

日本人が最初に鉄道に乗ったのは、1860年4月26日であった。ムラガキ・ノリマサは、客車のなかに人がひしめいているのに一驚している。

「乗客は小鳥が小枝で体を寄せ合っているのと同じような状態でいた」とある。

パナマ―コロン間の出来事である。
b0157593_194393.jpg

それから150年もたたないというのに、世界一の弾丸列車を走らせ輸出までしている。とはいえ、他の乗り物との競争はすでに開通当時からはじまっていた。人力車をひく車夫の「負けじ」とする視線に注目。

これは1879年に描かれた小林清親の絵だが、何とロマンにあふれていることであろうか。
b0157593_1954042.jpg

これなら「鉄っちゃん」になってもいい。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-22 19:05 | 古本
「インターナショナル・ベストセラー」と銘打たれた「入門シリーズ」は、基本的な思想家から思潮に至るまで網羅していて、いわば「思想全集」の役割を果たしている。

たしか日本語訳も出ているはずと思う。このシリーズ全巻が近所の古本屋に出ている。1ポンド均一。

親しみやすいようイラストで解説されているのがミソだ。マンガの方はきめが粗いが、説明部分はどうしてよく考えぬかれている。

たとえば「ロラン・バルト」などは下手なバルト解説よりもはるかにいい。しかもバルトが「独自の思想家」ではなく、その考え方をバルトに与えた同時時代の作家、批評家を検討しているところなどは出色である。
b0157593_5342174.jpg

大部な概説書をとても読んでいる時間がないときは、さっとあたると便利である。こころみに説明がしにくい「ロマン主義」をとりあげてみよう。

「ロマン」という言葉の語源から説き起こし核心に迫っていく。ロマン派といえば「詩歌」がつきものだが、ではどうしてか?

完全な人間性を求めること自体、ロマン派のなかに自分矛盾、自己分裂があった。ゆえに<完全>と<不完全>が同時にロマン派の核になってしまっている。
b0157593_5351810.jpg

<不完全>を呪いながら、また謳歌しながら自然や宇宙の全体性に迫ろうとした。そのようなときに「詩歌」はこの両特徴をそなえた媒体であった。

詩はあいまいにして集中的であり、うつろな社会、思想、人間性を包むのに格好のフォームであったわけである。

以上のように説明されると「なるほど」と思ってしまう。ここが大切なのである。そして、ここからしっかりした難解な概説書を読みほぐしていくと信じられないくらい理解できる。

だから入門の事前段階で活用すれば、すごく力を発揮してくれる。

シリーズ中には「進化論」「デリダ」「時間」などに並んで「仏教」がある。これが結構人気がある。

「仏教」を読みながら回転寿司をつまむ、これが最近のトレンドである。悪くない。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-21 05:35 | 古本
b0157593_6542975.jpg経済のサイクルが停滞し世をあげて不況の声がかまびすしいが、歴史的にひるがえってみれば大不況のさなかにペンギンブックスが誕生したことを鑑みれば逆に面白い現象が浮かんではこないだろうか。

たばこ代で高価な書籍がかえるという価値観の大転換が起こり、今日ではペーパーバックの本が主流を占めるまでになってしまった。

成功した原因は多く考えられるが、最大の原因は読者にいたずらに迎合せず、古典、いわゆるモダーンクラッシックと言われるタイトルを堅実にあげた点が功を奏したと思われる。

私がいつも購書のパイロット・ケースとしているウォルトン・ストリートにある「ラスト・ブックショップ」のにぎわいぶりをみると、「不況と書物」の関係に興味深い示唆を与えてくれる。

ここは2ポンド専門店で全ジャンルを狭い店内に並べている。この店の斜め前に新刊書店ができた。シティ・センターにはイギリスを牛耳る二大企業書店が店を構えている。

だのにこの新刊書店は何の特色もなく、中央店を小型化したような店構えである。当然、客は誰も入らない。主人はただ本が好きだからと言うだけで出店し、言い方を変えれば無謀なやり方で船出してしまった。

でもこの新刊店が大なり小なり、街にある一般的な書店を代表しているように思えてならない。

と言うのは「ラスト・ブックショップ」は狭い売り場面積を最大限に生かした特色を打ち出し、成功している。すべての本が2ポンド均一である。サンドイッチの値段よりも安い。

だから買い物帰りの主婦がショッピングバック片手に子供をあやしながら本を手にとっている。今日の読者からはかけ離れているようにみえる主婦たちが本をじっさいには真剣に求めているのである。

こうした現象をどう説明したらいいのであろうか。安い本と言うだけでは説明がつかないに気がする。

インターネットの書店では新刊書を1ペニーで売り、送料2ポンド75ペニーをかけるやり方で本をドシドシさばいている時代である。日本流にいえば本本体が1円か2円くらいで送料が270円というところか。

100円均一本はあっても、1円や2円で売る本って、いったいどのような状況から生まれてくるのであろうか。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-19 06:54 | 古本
b0157593_1835857.jpg

同じ読書人が売却したのだろう。フランス文学関係書が大量に積まれている。どれも安い。2ポンドでペインターの『プルースト伝』(2巻)を購入した。つとに筑摩書房から邦訳も出ている。

N先生が無聊を慰めてくださるつもりなのか、近刊のエッセイ集を恵贈してくださった。そのなかに「伝記の読み方、愉しみ方」という一文がある。初出は雑誌『考える人』である。

「フランスの作家で『失われた時を求めて』の著者プルーストでも、英国から出ているペインターの伝記が別格のよさである」

「英国人の伝記は一般にダイナミックに人生を描く傾向があ」り、「挿話、逸話的なものがうまくアレンジされている」

なるほど…。たしかに詳細なプルースト伝はペインター以後も出るにはでているが、読後感ではペインターになかなか及ばないようである。

この著者は大英博物館で書籍管理に携わりながらこの伝記を書きあげた。アーサー・ウエリーを思わせるすごい人もいるものだ。

だから第1巻が出て第2巻が出るまで2年の歳月を要した。ある批評家が「待つには辛い歳月であった」と吐露したように、誰もが完結を待ちわびた伝記でもあった。

そして期待は裏切られなかった。
[PR]
by oxford-N | 2009-02-17 18:35 | 古本