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古本とビールの日々


by oxford-N

オックスフォード便り 218 「どっちもどっち」


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明治の日本に流入したもので今日でも相変わらず問題になっているのは「英語」ではないだろうか。言語、言葉の問題である。

早くは東京帝大言語学教授ベジル・ホール・チェンバレンが「和製英語」の見本をこれでもかと列挙して笑っていた。店舗や店の看板に書かれた英語の表記から英語が入ってきた当時の混乱を伝えている。

PEST MILKという看板が牛乳屋にかかっていた。一口飲んだだけでペストになりそうだが、これなどはPと Bを看板屋が書き間違えたのだからそんなに笑ってはかわいそうである。

散髪屋がHEAD CUTTERとなっていて怖くて店をくぐれなくなる。でも日本語の発想で英語に改めたのでこれも明治の初期では仕方がないだろう。現在でも英語を学びはじめた中学生でこのように書く生徒はいるはずだ。

チェンバレンはよほど面白かったのか文章まで丹念に収集している。では、逆のケースはどうなのだろう。英米人はこのような誤りをおかさずに「日本語」を学べたのだろうか。

横浜で配布された日本語教則本を見るとどうやら牛乳屋や散髪屋を笑うことはできないようだ。日本人が英語を学ぶ比ではない。

英語YouはOh myとなる。もちろんOmaeのことである。Heは Acheera stoと発音される。もちろんAchirano-hitoのことである。

基本的な人称代名詞でこの程度なのだから、文章になるともう目も当てられない。おそらく話者が骨董屋にでもいると仮定しているのであろう。”I wish to see some nice small curio.” これが “You’re a shee cheese eye curio high kin.” という日本語(?)に変わる。

吹き出してしまったのはA dog が “Come here”という「日本語」になるというのである。これは犬が日本語を分からないからもう変換するは面倒なので「直接英語で」表した日本語なのだろうか。

1879年のことである。 問題は1世紀以上たった今日、日本語を学ぶ英米人はさほど増えず、英語を学ぶ日本人は激増したことか。

そして、それでも変わらぬ状態が尾をひいているから英語教育が「国の悩み」にまでなっているのであろうか。
by oxford-N | 2009-03-03 05:25 | 古本