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古本とビールの日々


by oxford-N

オックスフォード便り 38 機械が花よりも美しい時代

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訳語のこだわりついでに言うと、パブを「居酒屋、飲み屋」と訳してしまうとこれまた語弊があるだろう。さて訳語の問題はしばらく横におき、前回に登場したパブはラドクリフ・アームズという店名で、みんなはラディと呼んでいる。日本酒の名前にはやたら益荒男ぶりか、くだけた女性名が多い。英国のパブには貴族名や軍隊名称が多いのはなぜだろう。

扉に「本日のお薦め」が黒板代わりに書かれていて、食欲をそそる。イギリス料理がまずいと言ったのは誰だ? オックスフォードのあまたあるパブでここは3指に絶対入る。「うまい、やすい、はやい」の道頓堀の「食いだおれ」精神が生きている店である。どれか一品を、と問われたら、ローストビーフをすすめたい。悶絶まちがいなし。肉とソースの一体感、そこに冷えたビール。ほかに何がいる?

新しいビールがきたので、フランスついでに、もう少しフランス文学の話をしよう。

目の前のビールもそうだが、高校生の頃に刺激を受けたものからはなかなか抜けきらないものだ。それどころか一生の感性を決めてしまうようなところがある。そうしたなかで春山行夫が編集していた『詩と詩論』が懐かしく思い出される。

西脇がジョイスを、堀がコクトーを、佐藤がヴァレリーを、春山がスタインを、中野がヒュームを、北村がエリオットを、織田がウルフを…夢のようなペイジェントであった。舌足らずな日本語がまた若さを刺激した。何もかもが新しく息吹にふるえていた。

そのせいか、いつまでたってもモダニズムを胎動させた同人誌のリトル・マガジンが好きである。『トランジション』『ブラスト』『リトル・レヴュ』などがモダニズム運動の機動力であった。そのようなリトル・マガジンのなかで少し遅れて登場し、またすぐに消えていった雑誌があった。

『ビファ』である。ダダイスト詩人であるジョルジュ・リブモン=デサンヌが編集をつとめ、第1号が1929年5月25日に出て、第8号を1931年6月10日に出し、終刊してしまう。短命も短命。3号雑誌という言葉があるが、たった8号しかでていない。

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ジョイスが『ユリシーズ』を出したのが1922年であることを考えれば、かなり後発であることがわかる。それでもその遅いスタートは参加した作家たちの「豪華さ」を逆に反映させるところとなっている。

ジョイスの最後の作品のゲラが出ている。直しがもうこれ以上ないくらいまで余白が埋めつくされている。この作業はジョイスから視力を奪ってしまった。ジョイスの作品もそうだが、ここに掲載されているヘミングウエイの短編「白い象」にもみられるように、言葉をそぎ取れるところまでそぎ落としている。ジャコメッティの彫刻と表現という点では似ている。

アルプ、ベン、ベルナール、ジラドゥ、ナギ、ハイデッガー、ニザン、ヘミングウエイ、ジョラス、ミッショ、サルトル、ツァラなどのようにきら星のごとく、現在、古典の位置に君臨している若き日の作家たちが一同に会している。圧巻である。

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ロンドンの古書店に頼んでおいたのがようやく入手したわけだが、原本はレア中のレアで、大英図書館も所蔵を自慢しているくらいだ。だからリプリントなのだが、それでもありがたい。

シュルレアリスムの流れをくむ詩人、作家、画家、彫刻家、哲学者、写真家などが健筆をふるっているが、信条のちがいはあれども(時代を反映してかマルキストが多い)、共通しているのは既存の「古典」を打破して、みずからの方向を模索しようとしている姿である。

破壊から創造を、がまだ合言葉になる時代であった。そして機械が花よりも美しい時代であった。(N)
by oxford-N | 2008-07-06 20:59 | 古本