古本とビールの日々


by oxford-N

オックスフォード便り 45  「ホガース・プレス」

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わが仏尊しで、イギリス文学研究は自閉的であったが、最近ではイギリス文学がヨーロッパの伝統のなかでどのように受容され、また発信してきたか、という視点が顕著になってきつつあり、好ましい。

ロンドン大学のエリナ・シェイファが中心になり企画している、「ヨーロッパ・コネクション」をうたったシリーズは期待がもてそうである。ジョイス、ベックフォード、スターンがすでにラインアップされている。

既刊の『ヨーロッパにおけるヴァージニア・ウルフ受容』をみても、「ヨーロッパ・コネクション」の重要性を再認識させられる。ウルフが他言語でどのように受容され、その国の文化と同化し、伸長していったか、こうした軌跡をたどることは文学研究の欠かせない任務であり、作業であろう。

ウルフの文学作品は小説を問わず、評論、伝記まで、同時代からすでに多くの言語に作品は翻訳されていた。フランス語をはじめカタル語まで、11もの言語に翻訳された経緯を忠実に追っている。

こうした他国での受容・発信のほかに、ウルフが経営していた出版社ホガース・プレスはまさにこの「ヨーロッパ・コネクション」をそのまま体現したような存在であった。ウルフは1917年からはじめ、1932年まで直接関与し、35の作品を世に送った。

そのなかには、エリオットの『荒地』など20世紀を代表する名品が多く入っている。最初は「友人の本を出すために」という気楽な思いで、「趣味で」はじめた出版であったが、1946年に統合されるまで、315冊もの良書を出しつづけた。これはあまたの個人出版社がすぐに消えていったのとちがい、快挙である。

ウルフ夫妻がたまたま印刷機を見つけたところから、この印刷も兼ねた出版社ができあがった。今でもこうした手動の印刷機をノミの市、ガラクタ市などでよく見かける。活字も付いていてそんなに高価ではない。

活字を一字一字ひろい、自分で印刷、製本していくから部数はそんなに多く制作できない。初期のころ、『ユリシーズ』をもちこまれて、大作ゆえに断っている。だから初期の部数は150部止まりのものが多かった。

よって今日では古書価はうなぎ上りである。先月もオークション会社ヘリテッジでは『荒地』に対して、100万円から200万円の予想価格をつけていた。少数部数ゆえに発売してすぐに売れてしまったかというと、そうではない。日本のエリオット研究者がかなり後年になってホガース・プレスに『荒地』を注文してもまだ残っていたという。

ウルフも本制作が気分転換にうってつけだったのか、限定の記番をインクの色を変えながら記入している。パープル、グリーン、オレンジと色彩もこっていて現場の華やぎを伝えている。

この気分転換は功を奏したようだ。自分で活字をひろい、出版した「壁のしみ」「キューガーデン」は作家としての再出発となった。モダニスト、ウルフの誕生である。エリオットは「やっとあなた自身の声を見つけましたね」と称賛をおくった。

ホガース・プレスは「ヨーロッパ・コネクション」の観点からみてふたつの重要性がある。ウルフは編集の介入などを嫌い自由に発表できる場を求めた。そうした発信の場としてこの出版社は十分に機能したが、他面、ヨーロッパ文化を受容し、発信する場としても貴重な存在であった。

初期のロシア文学の受容がある。イギリス小説家の誰を並べてもロシア作家に比肩できる作家はいない、というウルフ自身の深刻な反省からロシア文学への取り組みははじまった。人生にたいする洞察がちがうというわけだ。みずからもロンドンに亡命していたロシア人の手をかり、ゴーゴリの『トルストイの想い出』を翻訳している。

ロシア文学だけではない。リルケ著作集、カヴァフィ詩集、ヘルダリン詩集なども手がけたが、もっとも注目すべきは『フロイト全集』の出版であろう。この個人出版社の受容と発信を今少し検討してみよう。(N)
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by oxford-N | 2008-07-17 16:22 | 古本