オックスフォード便り 84 「ピーターパン」

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有名な作品のモデルとされた当人は、一生、その重圧で苦しむ、と言われている。まったくもって、ちがうキャラクターなのに、世間は許さず、主人公に擬せる。幼少のころはまだしも、成長していくにつれ、ギャップがより開いていくから、それは辛いものだろう

でも、たいていは「物語」の方が力を失い、原作もモデルも自然消滅してしまう。だが、これが古典になるような作品だと好奇の目はおとろえず、生涯さらされることになる。

『不思議の国のアリス』のモデルになったアリス・リデルは、晩年、「もう、アリス、アリスと呼ばれるのはうんざり」と嘆き、苦しんでいた。

ロンドンのブルームズベリー・オークションで無料配布されていたアメリカの古書雑誌『レア』(December/January 2005)に「知られざるピーター・パン」という特集が組まれている。

ピーター・パンを生みだした作者J. M. バリーとピーター・パンのモデルとされる5人の男の子の、物語というにはあまりにも哀しい物語である。

1897年、ケンジントン公園を散歩中のバリーは、5歳になるジョージ、4歳の弟ジャックと出会った。乳母に連れられて公園に5人の子供が遊びに来ていたのだが、乳母車にはまだ乳児のピーターが乗っていた。
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ジョージはたちまちバリーと仲良くなった。30歳後半の有名作家というよりも、咳ひとつで耳を動かし、眉毛で奇術を演じてみせるような「変わったおじさん」であった。

話題は豊富で、クリケットから妖精の話、無人島に海賊の話、殺人犯と処刑の話になったかともうと、またちがう話題へと移っていき、あきることがなかった。

ジョージはこんな大人をみたことがなかった。年をとっても老成せずに、自分たちとまったく変わらない大人を初めて目のあたりにしたのである。

ここにバリーと5人の男の子の話がはじまる。どうやらピーター・パンの創造にはふたつの核があるようだ。

バリー自身が萌芽とされる作品の序文で、「ジョージと何回も話を交換し合い、どちらがどちらの作品か分からなくなるまで、語り合った」と述べている。

もうひとつは5人がそろってピーター・パンの話を打ち出したという説。ピーター・パンの物語の魅力はこの5人の登場人物の豊かな性格描写にあるのだから。

バリーは他にも数多くの劇作を書いたが、ピーター・パンは独自の位置を占めている。バリーがひとりでこの作品を書いていたら、きっと「頭でっかち」のピーターができあがっていたにちがいない。

1904年12月22日に初演されてから、『ピーター・パン』が舞台にかからなかった年はないと言われている。世界のどこかで必ず上演されている。

5人の子供には美しい母親シルヴィアと父親アーサーがいた。1907年、悲劇は起こる。まず母親が亡くなり、1910年に父親が逝去した。
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両親の死後、バリーは文字通り、保護者となり、生活費から学費の支援までおこなった。5人がそろって成育すると思っていた矢先、1915年、ジョージが戦死、1921年、マイケルがオックスフォードで溺死した。

バリーが前線にいるジョージに書いた「最後の」手紙は哀切がみなぎっている――「お前が将軍になって戻ってこようともそんなことは何の意味もない。そのままのお前でいておくれ。戦争が栄光に満ちているなどとんでもない。戦争は耐えがたい苦痛だ」

この手紙が届いてからジョージは4日後に戦死した。

1921年、マイケルの死は、新聞の一面をそめた――「ピーター・パンの悲劇、バリー養子の死」そして「死はすごい大冒険だよ」というピーター・パンの台詞とともに。

「マイケルの死は私の終焉でもあります。彼こそが私の生きがいでした」とマイケルのオックスフォードの指導教師にバリーは心情をつつみかくさず書きおくった。

「本当のピーター・パン」といつも言われつづけてきた「声望」に耐えきれなくなり、1960年、ピーターは地下鉄スロー・スクエア駅で投身自殺を遂げた。

1959年にはジャックが亡くなり、残った弟二コは1980年に亡くなった。
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by oxford-N | 2008-09-09 07:06 | 古本