古本とビールの日々


by oxford-N

カテゴリ:古本( 177 )

これは同じ雑誌の付録としてでた号に登場した靴の数々。
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現在の目からみてもなかなかのセンスである。でもシンデレラの靴見たいで細身すぎやしないか。

テントみたいなスカートに絞り切ったウエスト。そしてこのシューズ。ヴィクトリア朝だけは女性には生まれたくない。
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by oxford-N | 2009-03-28 03:02 | 古本
かつて女性雑誌は高価で一般女性にはとても手が出なかった。そこを見逃さなかったのがサミュエル・ビートンというヴィクトリア朝の出版人である。
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有名なビートン夫人の夫である。出版人としては天才で、いくつものベストセラーを出した。

「アンクルトムの小屋」はこの時代最大のベストセラーであると同時にもっとも売れた本であった。

1852年に出した「イギリス婦人家庭画報」はベストセラーとなり、オーストラリア、カナダにまで読者は広がった。

もっとも若き女性の夢をつかんだのはファッションプレートであった。ビートン夫人がパリに赴き「直輸入」してきて、人の手で彩色させたという凝った図版である。

今日ではこのプレートだけをはがして額装にするのがはやり、よく破られてしまっている。

何かいい気はしない。やはり雑誌の一部だと思うから。どうだろう。
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by oxford-N | 2009-03-28 02:56 | 古本
一時期、日本でも食品偽装の問題が大々的に取り上げられたが、イギリスの場合、18世紀後半からこの問題は一大社会問題になっていた。

賞味期限を延長させるため、パンやミルク、バター、はてはワインまで薬物を混入するのが日常化していた。

ミルク混入は子供の大量死を招き、さすがに事態を憂慮するようになった。

1852年に出された社会問題を考える警世の書でもちゃんと1章がこの問題に割かれていて根の深さがうかがわれる。

そこで乗りだしてきたのが化学の入門講座などですでに名声があったアッカムであった。矢継ぎ早に食品偽装を糾弾し、一躍世の英雄に。
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偽装開示の本書はよく売れ、今はまた問題が再燃しているのでペーパーバックで再刊された。元版は歴史的な意義があるのか古書価は高い。書影は再販。

だが、その英雄がとんでもないことで表舞台から転落していってしまった。世の中はわからないものである。

古文書館にある資料のページを切り取り盗んだというものである。以前から嫌疑がかかっていて、図書館員は彼の行動を壁孔からうかがっていた。

その現場を押さえ、自宅を捜査したところ、紛失した資料の数々が発見されてしまった。

当時の人は、この盗癖のある書痴と正義の警世家のギャップを理解しかねた。本人でさえ分からなかったであろう。

このような人物も「エキセントリック」というのであろうか。
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by oxford-N | 2009-03-24 18:43 | 古本
かつて刺繍は女性のたしなみのひとつであった。現在の生活では時間が速いためあまり振り返られないようだ。
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一昔前は立派な精神修養であった。細かいひと穴ひと穴を紡いでいく過程はまさに女性の忍耐力を養うのに最適とされた。

だから古くから刺繍批評なるものがある。詩集ではない。伝統にのっとり編み上げた刺繍が論評された。

先日女性雑誌を買ったらやりかけのままの刺繍がはさんであった。150年くらい前のものだから変色している。途中で力尽きたようだ。

私に技量があれば、残りを仕上げるのだが、ひと穴さえ刺せそうでなく、無理だから眺めているだけだ。情けない。
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by oxford-N | 2009-03-24 01:42 | 古本
出来のいい写真集は無類の愉しみを与えてくれる。フランスを被写体にした写真集で出来のいいものに遭遇した。
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今、大部な評伝が出て評判のポール・ヴァレリーが序文を書きおろしている。孤高の詩人ではなく政府のスポークスマンであった晩年のヴァレリーはまさにどこにでも顔を出す。
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戦時中から戦後にかけてヴァレリー全集を出した筑摩書房はこの全集だけで6万部もの予約者を得たという。道理でどの古本屋へ行っても端本が転がっていたはずである。あの青山二郎の装丁は誰もがおなじみであった。
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哲学者、詩人としてのヴァレリーは受容されてもどうも政治家としてはわが国には収まりが悪かったようだ。やはりテスト氏の影響が強すぎたのであろうか。

「フランス語の子音はやわらかでヨーロッパ人でこれを発音できないものはいまい」とやはりフランス語の特質から自国の特徴を開陳していく。面白いフランス論になっている。この序文は訳されているのであろうか。
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写真も素晴らしい。1927年の出版だが現在も被写体はそんなに変わってはいないだろう。またフランスの街角は誰が撮ってもアジェのように撮れそうだ。実際にとってみたらちがうのだが…。

1ポンドで買い求めたこの写真集を友に久しぶりに「ます亭」まで遠出しょうか。この写真集のなかで降り注いでいた陽光も今日の太陽の光も大差はないだろう。
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by oxford-N | 2009-03-15 18:29 | 古本
鉄道文化史はそれこそ枚挙のいとまがないほどあふれているが、『駅の文化史』は寡聞にして知らない。でも考えてみたらこれこそ書かれても不思議ではない文化史である。
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乗降客の往来、貨物の積み下ろし、それこそ社会経済におけるすべての接点、交点がここにある。オックスフォード出版局から出た本書はまさにその点をついている。

範囲は広大で、世界中の駅をとりあげているところが長所でもあり短所にもなっている。世界を相手にするのはやはり網羅過ぎて焦点がぼやけるうらみがないではない。

「社会史」と銘打っているからにはもっと掘り下げてもらいたい。でもその分、駅の建築史に重点を置いている。これはこれで面白い。

文学、映画、絵画、絵葉書、ポスターに現れた駅の重要性を説いた最後の2章は読ませる。

とくに名作『めぐりあい』の舞台になったミルフォード・ジャンクション・ステーションの虚実を腑分けした作業は見事である。

ノエル・カワードの平凡な1幕物を名匠デヴィッド・リーンがまさに映画に仕上げた。サウンドトラックは逆にこの映画によってラフマリーノフのコンチェルトを有名にした。
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舞台が労働者階級専用の駅ビュッフェからはじまるのも泣かせる。「私はふつうの女、恋に落ちるようなことは現実には起こり得ないと思っていた」と女主人公はもらす。

でもそれが駅のビュッフェで現実に起きてしまった。しかしここは出会う場所でもあり分かれる場所でもある。ふたりの運命はすでに暗示されている。

映画を語るとつい淀川おじさんいなってしまう。ともあれこの映画だけで駅の象徴性は語りつくされているであろう。

文化史に興味をもつものが駅の重要性を教示される、という意味で本書は良書であろう。近所の古本屋にて3ポンドで購入。1986年出版。
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by oxford-N | 2009-03-13 07:28 | 古本
エドワード・リア「ABC ナンセンス」(1988)。ハーヴァード大学ホートン・ライブラリーに所蔵されている原画の復刻である。
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1862年6月22日の日記にリアは、「6時30分起床。9時まで坊やのためにABCを描き続ける。… 午後1時30分ランチ。 … 何と楽しくいとしい人たちよ、午後3時30分、坊やのためのABC完了」と認めている。

子どものために描いたものだから率直で無垢な感じがそのまま表出されている。絵文字に添えられている詩歌はリアお得意のリメリックである。

柳瀬訳で岩波文庫にもリアの「ナンセンス・ソング」は収められているほど、ヴィクトリア朝の子供文化を知るには宝庫となっている。
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ネコはリアの大の親友であった。
C was a Cat
Who ran after a Rat
But his courage did fail
When she seized on his tail
C!
Crafty Old Cat!

神韻、頭韻すべて子供の好奇心を揺り動かす工夫がなされている。

ウサギも捨てがたい。
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R was a Rabbit
Who had a bad habit
Of eating the flowers,
In gardens and bowers
R!
Naughty fat Rabbit!

詩の韻で英語の活力を全開した力がみなぎっている。

でも注意深く読むと、ヴィクトリア朝特有の教訓臭さも十分感じとれる。リアは説教詩人でもあるのだ。
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by oxford-N | 2009-03-12 23:33 | 古本
漱石が留学中乏しい書籍費から捻出して、ジョンソン博士の「英国詩人伝」を購入したくだりは日記のなかでも白眉である。
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本当にうれしそうな漱石の様子が伝わってくる。漱石先生にならったわけではないが、ついに古書展で「英国詩人伝」と巡り合った。

もちろん漱石と同じ版ではない。でも標準版となるヒル編纂の1905年版である。いうことなし。しかも美本の3冊揃いときている。文句なし。

元の所有者の蔵書票も瀟洒なデザインである。これはいい本だ。
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英国の伝記文学にひとつのひな型を提供したばかりでなく、わが明治日本はここから多くのテキストを集めて教科書にしていた。

もう読まれなくなった詩人でもこの詩人伝のなかで息づいている詩人は多くいる。ミルトン批評は有名で、たしか筑摩の世界批評体系にも訳出されているはずだ。涙をさそう哀切きわまる「サヴェッジ伝」は単行本で入手できる。たしか2種類も訳されている。

では、どこに魅力があるのか。

それはジョンソン一流の独断と偏見である。啖呵の切り方が掻快感をさそう。「ジョン・ミルトンは生まれながらにして紳士であった」―こう言われて次を読まない読者はいまい。

さらにこの詩人伝に輝きを与えているのは、同時代の批評をよくジョンソンが読んでいることである。資料の扱いが手堅い。想像力の奔放と制御。文学研究はこれに尽きる。

ヒルのこの版が出ていたころには英文学者漱石は小説家漱石に変貌していた。

ダメモト承知で、値引きをもちかけたらあっさりと半額の15ポンドで譲ってくれた。価値からみてこれは安すぎる。ただただ感謝あるのみ。
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by oxford-N | 2009-03-12 22:19 | 古本
古書展会場を回っていると、1冊3ポンド、4冊で10ポンドというコーナーがあった。日本流にいえば3冊500円の口か。

でもこれが侮れない。良書がどっさりと放出されている。4冊えらぶのに苦労するくらいどれもこれも欲しくなる。本も美本ばかり。

1冊は大判でドナルド・キーンが1959年にロンドンのハイネマン社から出した「日本で暮らして」という戦後日本の姿を世界に発信した好著である。翻訳はあるのだろうか。
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写真が多く入っていてキーンの文章もみずみずしい。高度成長に入ったばかりの躍進する日本がここにはある。

キーンは文学者だから、当然、文学の説明にも詳しい。

「今の日本で作家は英雄である。道を歩いていればサイン攻めに会い、顔は雑誌の表紙を飾り、一挙一動が新聞や雑誌で報じられる。… 4人の作家が映画俳優やプロの選手よりも年収が多かった」とある。今日の斜陽の文学界と大変な違いである。

「ある有名作家は96冊の小説集を出し、日に1万語は楽に書ける」と豪語している。この「有名作家」とはいったい誰だ?(松本清張?)

「だから子どもが親に小説家になりたいと言えば親はよし頑張れと奨励する」――こんなにも文学は高く評価されていたのである、いや、「あった」。

今日では文学部に進学すると言い出せば、自殺行為とは言わないが、一家大騒動になる。まず就職がないからであるのだが…。
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会津八一の書。こんなに反古を出し今日ならば環境問題で文句をひとつふたつ言われるところだ。

これは知らない谷崎の写真である。大谷崎にふさわし威厳がある。陰翳礼讃の世界とはほど遠く、明窓浄机の健康そのもの。とにかく作家は英雄であった。でも、そんな神々も消えていった。
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本書に盛られている行事、田舎の風景、町並みなどはもう半分以上が消滅してしまっている。たった半世紀の間に何が起きたというのだろうか、この日本に。
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by oxford-N | 2009-03-10 01:38 | 古本
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「女王日和」の日曜日。ロンドンの古書展へ。いざ行かめやも。好天気に誘われて人出も快調そのもの。

誰もが春を満喫している。いいものだ。景気の後退も今皆さん忘れている。それでいいのだ。

声を掛け合う友人もいれば、目と目を合わすだけで久闊を叙する書店主もいる。挨拶はさておいて、本、本、本、である。

すると目の前にホームズ本があるではないか。20ポンドまでならお世話になったホームズクラブへのお土産に、と考えた。
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でも扉を開けると「40ポンド」という無情な値段が目に飛び込んできた。どうもタイトルからみれば30ポンドそこそこの本ではないかと考えパスした。

ホームズクラブの方々は本の虫が多いから「適当に」お茶を濁すことはできない。もっといい本が飛び出してくるだろう、と期待して次のブースへと進んだ。

抑えめな値段の本が多くこれは期待できそうだ。荷車が段ボール箱をセッセッと運び込んでくる。均一本の入荷だ。これはいい。たちまち黒山ができる。

ひとりの老人が何冊抱え込み、死海写本か聖書をむさぼるように目をページにくぎ付けにしている。
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あるべき読書の姿を見るのは爽快だ。でも一向に購入しょうとしない。想像力はこの老人の上を縦横にかけめぐっていく。

もうこれまで十分本を買い込んだ老人は老妻から疎んじられ、1冊の本をもちかえるのもはばかれる。それとも息子の嫁が汚い古本を家に持ち込むのを禁じているのか。

はたまた究極の1冊を求めているのか。永年の読書の習性が老人の腰を曲げてしまっている。全身が目になり、老人は本と一体になる。

この謎の老人は近い将来の「私自身」であるように思えてきた。
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by oxford-N | 2009-03-09 23:16 | 古本