古本とビールの日々


by oxford-N

カテゴリ:絵画( 5 )

輝くクリスマスツリーをお届けしましょう。最初はボドリアン・ライブラリィの窓から見えるツリーです。
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ボドリーの守護神のように両脇に立つツリーです。
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これはオックスフォード大学出版局の中庭に立つツリーです。
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ロンドンはピカデリーに出現した人間ツリーです。後ろのおじさんと比較すればどれくらい高いかお分かりになるでしょう。
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by oxford-N | 2008-12-17 06:34 | 絵画
明日行われるオークションの下見から帰宅すると、神戸の「みずのわ出版」から素晴らしい本が届いていた。
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『佐野繁次郎装丁集成―西村コレクションを中心として』が航空便のなかから出てきた。これは、「みずのわ出版」の快心作ではなかろうかと思った。

同封のメモに「趣味的逸品ですネ」と書かれていたが、まさに「逸品」だ。辻静雄のフランス料理本をすぐに想起させるデザインで包まれているのも秀逸である。本歌取りか。

しかもラッパーと本体がちがうデザインからなっていて、ぜいたくな造本になっている。これは佐野繁次郎への愛情なくして到底できない作業だろう。
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ページをめくると、あの本、この本も佐野の手になったのかと、「うれしい発見」の連続である。

ブックデザインの連続性を考えてみれば納得するのだが、やはり画家の心境の統一と変化を思わずにはいられなかった。

図案を見ながら作家と装丁家という関係にも夢想はたなびいていく。横光利一と佐野の交友はどのようなものであったのだろうか。

絵画と文学が交錯するきわめて興味深い側面で、作家と画家はどのような「対話」を交わしたのであろうか。そう考えて眺めていると佐野の鼓動がきこえてくるようだ。

谷崎の『初音きのふけふ』は著者自装かと思っていたが、佐野の手になるもと分かり、またちがう味わいが出てきた。

コレクター西村義孝さんの集書話もひと味ふた味と味わい深い。ようやく佐野がフランスで出した本にたどり着くのだが、憧れの恋人を前にして、躊躇してしまうのである。

でも、理性を感性が裏切って、「ください」と押し切ってしまう。永年求めてきた本であっても、誰でも経験あることだが、自分の「想定額を超える本を購入する」には勇気がいる。

林哲夫氏作成になる年譜も労作である。佐野は昭和62年に逝去するが、あえて何歳であるか書かれていない。
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読者は計算するために生まれた年に目を移す。するとそこには老年の自画像がある。おしゃれな仕掛けになっている。

まだ入手していないとある広津のモーパッサン翻訳本は、渡英前に大阪で月に一度催される古書会で見た。広津の翻訳はハーディの『テス』だけかと思っていたのに意外だったからよく覚えている。

どんな経路か分からないが、この本はきっとまわりまわって西村さんのところへ落ち着くだろう。古書とはそんなものである。
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お茶目なイラストに彩られて、神戸からオックスフォードまで飛んできてくれたこの本は、佐野が描く丸い独特の文字のように、何よりも暖かさを届けてくれた。ありがとう。
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by oxford-N | 2008-11-05 03:48 | 絵画
フランクフルト・ブックフェアの最後を飾るのは広重の「江戸名所百景」である。有名すぎるくらいの作品だが、大きく拡大してみるとその妙味が際だって引き立つので、面白い。
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浮世絵が外国に行き再評価され、またこのような形で提示されると、こんな恵まれた、美しい国に住んでいたのかと、思わず自国を見直したくなってしまう。

まず造本がすばらしい。和本仕立てになっていて、浮世絵とよくマッチする。難点は大きすぎることである。和紙もどきの用紙を使用しているので、本を立てると途中で腰砕けになってしまう。
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その欠点を十分に補えるのが、美しい日本の風景である。広重がこの版画を作成したころには既に、このような風景は大部分失われていた。

ここにあるのは美化され、理想化された風景だが、広重はそれを追想するのではなく、再構成しようとしている。

「深川 万年橋」であるが、広重の技法がいかんなく示されている。橋の上に、桶が置かれ、その取手にひもで亀がつながれて売られている。ただそれだけの図である。

ところが対角線を引いてみると、驚くべき意図が浮き上がってくる。富士山と桶を線で結んでみよう。
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富士は「聖」なる信仰の山である。それに対して万年橋の周辺で繰り広げられているのは「商売」というきわめて日常的な光景である。つまりここに<聖>と<俗>の対比がある。

絵画のなかでシンボルとモチーフの対比をこれほど鮮やかに描いている例は少ない。モチーフはいうまでもなく、商いという日常性である。

<明>と<暗>のコントラストもにくい。橋の柱と亀が入っていた桶の色の対比がそれである。

ナンバー・シンボリズム(数字の象徴化)を巧みに使っている。亀と橋が重層化されて示される。「万年」橋と、『亀は「万年」』ということわざをかけている。ここにさらなる意味が生じてくる。

人間のはかない寿命を考えれば、カメのような長寿にあやかりたい。この売られている亀を買い取り、橋のふもとを流れる川に逃がしてやる。するとその徳深い人に、殺生を禁じる仏のご加護がほどこされ、長寿に結びつくというわけだ。

ここで富士山がすべてを見下ろしている構図も意味が分かってくる。聖なる山からもたらされるご加護である。<聖>と<俗>の対比が解消され、一気に<聖>なる世界が、ここ万年橋のうえに広がっていくのである。つまり、すべてが「めでたく」なるわけだ。

広重は奥深く、面白い。Hiroshige is fantastic!
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by oxford-N | 2008-10-25 05:58 | 絵画
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オックスフォードはいよいよ新学期が始まり、新入生が係員に連れられて、大学のあちらこちらを歩き回っている。その姿はまるでアヒルの親子のようだ。

最初はかわいいのに、すぐに生意気になる。写真の学生は1960年代の学生。もうおじいちゃんだろう、きっと。

この冊子はバス会社が無料で配っているものだが、大学の街だけあって新入生特集を組んでいる。寄稿しているのは、卒業生の女性ジャーナリスト。

いわく、オックスフォード神話で頭のなかがいっぱいの状態で、この街にやってきた。その神話とは、だれもが勉強ばかりしていて、締め切りばかり気にしているようだ、と。

現実は、普通の学生ばかりで、勉強もするが、スポーツや買い物、料理を映画を一緒に楽しむような人たちであった。

だが、新一年生の生活はローラコースターのようなもので、あっという間に過ぎ去っていった。

1週に6科目、2週間に3回の個人指導の講義体制で挑んだという。この個人指導がオックスフォードの教育形態で、1対1だからみっちり絞られる。おもに作文添作に時間を割く。

よく遊びよく学びの精神で適当に行こうとして、朝の3時に図書館に行ってみると、空いている席がなかったという。ちなみに、どのカレッジでも図書館は24時間開いている。
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オックスフォードに限らず、大学時代は、誰もが、もやのなかをゆっくり進んでいくような不安につつまれている。

でも、卒業して振り返ってみれば、あれほど輝いている時間はないはずである。これは誰もが体験する想いであろう。
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by oxford-N | 2008-10-18 01:34 | 絵画
b0157593_1419417.jpgフランシス・ベーコンの生誕100年を祝う展覧会が、テートで開催されている。古書展の後、いってみた。

展覧会自体は、企画がねられていていいものであった。ただベーコンの生涯にわたる代表作を網羅する展覧会だったので、「重かった」

まるで朝食に分厚くて脂っぽいベーコンを食べ過ぎた感じだ。でもおいしいベーコンであったことに変わりはない。

3人でいったのだが、むろん各作品の評価はちがったが、「重い」という印象はまったく同じであった。ベーコンの重さは腹にもきたようだ。

展覧会後、すばらしいタワーブリッジのレストランに行ったのだが、3人寄れば、いつも3本はワインを開ける仲間なのに、たった1本しか飲めず、デザートも入らなかった。

多彩きわまる人生を歩んだ画家だったが、安住の地はあったのだろうか。そう思わずにはいられないような作風の連続である。

人が人生をくぐりぬけるために不可避な「残虐性」に満ちている。人は生きるため、他人を、自分を傷つけずにはおられなものなのか。

作風は大きく変化していくが、テーマは一貫していた。展示室は9部屋に分かれていたが、中間にベーコンのアトリエが置かれていて、画家の仕事場に立ち会えるようになっている。b0157593_14202748.jpg

アーカイヴだ。これがよかった。絵を文字から理解するアプローチは危険だが、ベーコンのように画家自身に興味がある場合、このような「現場」はおもしろい。

驚いたのは、マインブリッジの連続写真を多くもっていたことである。ミケランジェロの彫刻、闘牛やボクシングの写真。筋肉の動きにとらわれた画家であった。

混沌としたアトリエのなかからベーコンは「美」を創りだした。それはその言葉の意味で「美」と呼べるかどうかは別として、画家がT.S.エリオットの「荒地」に行きついたのは当然であった。
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タワーブリッジが眩しい照明を投げかけているのだが、ロンドンの闇はどこまでも広がっていくようだった。
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by oxford-N | 2008-10-14 14:22 | 絵画